初春歌舞伎公演「梅初春五十三驛」

国立劇場で、初春歌舞伎公演「通し狂言 梅初春五十三驛(うめのはるごじゅうさんつぎ)」を観劇。

12時開演。
当初は、5時間弱の上演時間となっていたが、観劇日の1月23日(火)は、終演予定が4時35分となっており、じっさいも1分遅れた程度で、およそタイムテーブル通りに終わった。

当日券での観劇だったが、開演の25分前頃にチケット売り場へ行くと、1階席はすでに空席が3席のみ。二等席は、1、2階とも売り切れていて、結局、通路際が空いていた一等B席を購入。隣席は売れ残ったらしく空席で、気兼ねなく観劇出来たが、それにしても盛況なことである。同じ正月でも、3年前の「浮世柄比翼稲妻」のときは、平日なら座席はよりどりみどりだったのに…。

プログラムが、800円。
(いつも通り、資料集や、台本も販売していたが、買わなかった)


あらすじを説明するのはややこしい芝居なのだが、見てみれば、別段ややこしいこともなく、各幕ごとの趣向や、有名演目のパロディが楽しめて、上演時間の割りには退屈しない、テンポのいいエンターテインメントになっていた。

ねずみの妖術を授かった鼠小僧次郎吉じつは清水義高と、(その父の)木曽義仲に恨みを抱く化け猫じつは猫間中納言の飼い猫と、このねずみと猫をどちらも菊五郎が演じていて、最後には、猫間中納言の香炉でねずみの妖術が封じられるという結末が面白い。死んだはずの木曽義高は、取り替え子で、次郎吉こそが木曽義仲の子だというあたり、じつに歌舞伎的で、そういわれてしまえば、そうなんだと思う外はないのである。
おなじみ、宝刀の詮議も絡む。

舞台は、前半に見どころが多く、創り手のサービスこごろが横溢の感。後半は、菊之助の美男振りがぐっと際立つ。

序幕の最後、主なる登場人物が出揃ってのだんまりから、次郎吉がねずみの妖術を験すと着ぐるみのねずみに変身し、幕切れは、立派な盗賊姿になって大ねずみ(赤目が光るわいなぁ!)に乗っての引っ込みとなる見せ場に、やんややんや。

二幕目の「岡崎の猫」は、音羽屋の親玉猫から、人形の猫、子役4人が着ぐるみで踊るかわいい猫、宙を飛ぶ化け猫、目が光って煙を噴き出すへんてこな猫石まで、猫もさまざま。恐くはなくて、むしろユーモアを感じさせる仕上がり。

三幕目は、白須賀吉祥院での村芝居での、三津五郎太夫に三津右衛門の三味線が格別の面白さ。もっと語って欲しかった。櫓のお七は、割りとさらりと。

五幕目(大詰)の、権八(菊之助)・小紫(時蔵)に、鈴ヶ森では幡随長兵衛もどきに登場する小夜衣お七(菊五郎)。刑死して首になったのが、権八ならぬ(弟の)吉三郎だったことが明かされ、四幕目での菊之助二役に辻褄が合って、最後は、華やかに立ち回りが付く。


子役は、踊る猫の4人(浅野加寿希、萩原千佳乃、塚越ひな、宮永歩海)と、「権八小紫」の場での禿文字野(下田澪夏)。猫たちは顔に描いたひげがかわいく、禿は花道から出て、七三での権八を相手のセリフといい、秀でて上手い禿である(花道でのセリフのあと、枝折り戸を入って、寮の裏手へ去る)。