おしん 少女編(東京エレクトロンホール宮城) 11月26日昼・夜

もう1か月が経ってしまったが、11月26日(木)に、東京エレクトロンホール宮城

平成21年全国特別公演「おしん 少女編」
(原作・脚本:橋田壽賀子、補綴:菊村禮、演出:石井ふく子)

を観劇。


1時開演の昼の部は、

おしんが、諸星すみれ。加賀屋加代は、神山未来。

5時開演の夜の部は、

おしんが、佐々木麻緒。加賀屋加代は、渡邉ひかる


私が足を運んだ浅草、郡山、宇都宮、越谷では、佐々木麻緒ちゃんが昼の部に出ていたが、仙台では昼・夜が入れ替わっていて、諸星すみれちゃんが昼公演に出演していた。


座席は、昼が1階7列、夜が1階1列。

前売りを買ったとき、端のほうだが最前列があったので、2回とも同じ席にしようかと思ったが、そうしなくてよかった。

1列は、舞台がよく見えなかった。ステージが高いということに加えて、この「おしん 少女編」全国公演は、ステージの手前にフットライトを置いているので、それで視界が遮られてしまい、ステージ下部が見えず、また奥が見づらい。

私が座った席からだと、おしんが舞台に立ったとき、おしんの脚は全く見えなくて、腰から上しか見えないという感じ。最前列のお客さんのなかには、舞台が見えないといって苦情を訴えているひともいたが、その気持ちは分かる。ほとんどの観客の観劇機会は1回なのだから、あれだけ見づらいと、せっかくのおしんちゃんの演技も充分楽しめないだろう。

東京エレクトロンホール宮城こと宮城県民会館では、90年代に「アニー」を何度かと、あとは「真夏のシンデレラ館で」を見たことがあるが、1階1列に座ったのは、今回がはじめて。(そもそも「アニー」だと、オーケストラピット使用だから、1階1列はなかったのだが)

あのフットライトがなければ、多分、1列でも問題なく見えたと思うのだけれど…。

それと、舞台が広いためだろう、黒幕を使って舞台の間口を狭くしてあった。ので、前方の端の席からだと、さらに視界が切れてしまった。


座席が7列だった昼の部は、舞台が見やすかったのが、幸い。

おしんが首から下げている守り袋には、口のところに(ホックみたいな?)留めるものが付いているようだが、これ、新橋演舞場公演のときはなかったんじゃないかな?(守り袋から50銭が落ちたりもしていたから)

おしんが、声に出さないセリフを口の動きで見せる演技には、本来のセリフの行間を埋めるような深みを感じる。


おしんが筏に乗って年季奉公に出た第一幕の中川材木店の場では、飯を食うシーンがある。店の若い衆が、各自で自分の食器が入っている箱を棚から持って来て、ご飯や汁をよそって食べて、食べ終わるとまた箱に食器をしまって、もとに戻す。

あれは「箱膳」というものなのだね。たまたま、ある小説を読んでいたら(時代は戦後)、主人公が住み込みで働いている店で箱膳が出て来て、あ!中川材木店でのあれのことだ、と思い当たった。「箱膳」というのだとは知らなかった。

検索したら、岩手県立博物館のサイト内に、展示品である「箱膳」の解説があって、
http://www.pref.iwate.jp/~hp0910/korenaani/f/028.html
分かりやすいので、引いてみる。

箱膳は、蓋のついた四角い箱のような形をしたお膳で、なかに一人分の食器、だいたい飯椀と汁椀(しるわん)、それに小さな皿が1、2枚と、箸1ぜんがおさまるようになっています。地方によってはゼンバコなどと呼ぶところもあります。

家族の一人一人にはめいめいの箱膳があって、これはお父さんの箱膳、これはお母さんの箱膳というように決まっていました。食事になると、家の主人を中心に、その家のしきたりによってならべられた膳の前にすわります。箱膳は、蓋を裏返して箱の上にのせ、その上になかから出した食器をならべて使います。食事が終わると、湯を飯椀(碗)にそそぎ、箸でよく洗って湯をのみ、そのまま箱膳のなかにしまって蓋をしておきました。
むかしは食事のたびごとに、食器や箸を洗うことはしなかったといいます。今考えるとちょっと不潔(ふけつ)な感じもしますが、箱のなかに入れておくことによって、ほこりや虫を防ぐことができましたので、それなりに合理的だったのかもしれません。』

食べたあとに、飯碗にお茶や白湯を入れて飲んだり、そのとき、箸にお茶や白湯をかけたりするのは、この「箱膳」での習慣から来ている訳だ。


第二幕の加賀屋の台所で、おさよさまを子守しながら、今度は米五俵だからな、のセリフのところで、佐々木麻緒ちゃんが後ろに組んでいた手の片方の掌を広げて、「五」にしていたのがおもしろかった。