母べえ


11日(金)、よみうりホールでの試写会で、映画「母べえ」を見た。


(川口リリアで行われる試写会にも応募してみたが、そちらは落選。やはり、出演者の舞台挨拶付きになると希望者も多いようだ)


さて、「母べえ」である。

これは、ひと言でいってしまえば、反戦映画ということになるのだろう。声高に訴えるのではなく、母娘3人と身近なひとたちに圧しかかる戦争の影響や、自由にものがいえない時勢の息苦しさを、淡々とスクリーンににじませ、母べえが見せる隠忍ぶりが、その空気を伝えて来る。

家のなかのシーンを中心に、カメラワークがべったりとしていて、それがまた生活の閉塞感と重なっていた。


ヒロイックな人物は登場しない。
ドイツ文学者の父べえは獄死するが、主義に殉ずるというよりも世渡りの下手な学者という印象。母べえは、生活のため代用教員として小学校に職を得るが、ひたすら感情を殺して働き、目立った行動をとることもない。母娘3人は、父べえが思想犯として捕まったあと、苦労はするが、直接的な迫害や差別に遭う訳ではないし、女学生になった長女の初べえが学校で級友や先生と上手く行っていない悩みが語られるが、それも具体的なシーンとしてはえがかれない。

次女の照べえが見せる子どもらしさが、映画の折々になごみをもたらして、アクセントとして効いている。


母べえの父親で元警察署長だという体制側の地方官憲を、前進座中村梅之助が演じていて、キャスティングの意外性に加えて、その俗っぽさに生々しい存在感があった。
仮に、家族のために転向しようかと考えていても、こういう人物がしゃしゃり出て来ると、意地でも節を曲げられなくなるのではないか。そんなふうに思わせる。

映画の最後の、後年のシーンが必要かどうかは、疑問。唐突だし、あそこまでのメイクをして、老いた母べえの死を見せなければ、この映画は終われなかったものか…。