母と惑星について、および自転する女たちの記録(PARCO劇場)


7月14日(木)に、PARCO劇場

パルコ・プロデュース「母と惑星について、および自転する女たちの記録」(作:蓬莱竜太、演出:栗山民也)

を見た。

14:00開演。

上演時間は、一幕65分、休憩15分、二幕60分。

少し遅れて開演して、16:32ぐらいに終演。

公演プログラムは、1500円。(買わなかった。少々見本を立ち読みはした)

全席指定7800円が、6800円で販売されていた某所の割引チケットでの観劇で、座席は、前から5列目の下手側だった。


配役は、

辻峰子(母):斉藤由貴
辻美咲(長女):田畑智子
辻優(次女):鈴木杏
辻シオ(三女):志田未来


母の急死後、その遺骨の散骨先を探しつつ異国を旅する3姉妹。その旅の間に、3人それぞれの、母親との思い出(といっても、それは生前の母と娘の確執や対立なのだが)が回想される。

毒親というべきシングルマザーと、その娘たち(3姉妹)の愛憎劇である。見ていて、かなりしんどい芝居だ。

回想シーンの積み重ねから、母親の人物像の片鱗や、母と娘の間にある一筋縄ではいかない複雑な感情、娘たち3人で3様だった母との関係などが浮かび上がって来る。

志田未来ちゃんがクレジットのトップだけに、3姉妹のなかでは、三女・シオの視点にいちばんウエイトが置かれている。三女は、23歳の設定。

八百屋に組まれたステージは、上手側、下手側の一部がスライディングする仕掛けで、そのステージの動きが回想シーンへの移行などの場面転換ともリンクする。

大げさなタイトルの意味は理解出来ないが、志田未来ちゃんは舞台の演技も上手い、ということはよく分かる。


作・演出は、「まほろば」と同じコンビで、「まほろば」の延長にあるような芝居、ということらしいから、そういう意味で、両作の共通項をいつか挙げると、

登場人物が女性のみで家族、あるいはそれに準ずる者である。男性の存在や気配はえがかれながらも舞台には出て来ない。産む性(=女性)であることとの直面や葛藤に、長崎(被爆地)という土地柄がうっすらと絡めてある。祭りの日やイベント的な(ハレの)高揚をクライマックスと重ねることで登場人物の感情を昇華させる終幕。・・・


カーテンコールの並びは、下手から、鈴木、志田、斉藤、田畑で、これは、ゲネプロのときの囲み取材での4人の並びと同じである。

たとえば、→http://natalie.mu/stage/news/193532(ステージナタリー)