直葬、あるいは火葬式

3月の下旬に高齢(大正ひと桁生まれ)の家族が故人となった。通夜、告別式はせず、2日後に親族のみで火葬を行なった。いわゆる直葬だが、近年は直葬にちょっとしたお別れのオプションを加えた「火葬式」というプランを提供している葬儀会社がたくさんあるので、そのなかからホームページや各種広告を見て、直前に選んでいた葬儀社に依頼した。

火葬式や家族葬など規模の小さい葬儀を積極的にPRしていて、自宅と入院先のどちらからもあまり遠くない葬儀社のなかから、プランの内容等で2社にまで絞り込んでいたが、最終的には事前にかけた簡単な電話相談とホームページに出ているスタッフの顔写真を見て決めた。

(四捨五入すれば百になる)高齢と入院時の状態からして今度はもう回復はむずかしいと思われていたので、1か月半ほどの入院の間に心の準備はしていたし、当日はそろそろ危ないというので自宅で待機していたこともあり、すぐに駆けつけて、火葬までは滞りなく行なえたとは思う。
頼んだ葬儀社は価格が明瞭で細かく見積りが提示され、不要な部分は差し引いてくれて良心的だったし、担当者の印象もよく、病院への迎えから火葬の当日まで不満に思うことはなかった。

葬儀社を頼むのははじめての経験で、事前にいろいろ調べてみても、具体的に分からないことがあった。たとえば、安置所とか安置施設というのはじっさいにどこにあるのか。火葬までは、自宅ではなく安置施設にというつもりだったが、その場所はいったいどこかということ。
これは、葬儀社の建物や事務所のなかに霊安室があって、そこがいわゆる安置所になっているようだ。あるいは、セレモニーホールなどを持っている葬儀社の場合は、そこに安置室も設けられている。火葬を行った公営の火葬場にも霊安室があったが、葬儀社はあまり勧めないようだ。

火葬のあと、桐箱入りの骨壺をどうやって持ち帰ればいいのか、というのも分からなかった。自家用車があればあまり問題ではないのかも知れないが、ウチは車がないので、タクシー利用。映画やドラマではないのだから、まさか両手で胸に抱いて持って帰るなどということは出来ないし、そもそも、電車等を使う場合には、遺族はどうやって遺骨を持ち運ぶのだろうか、と。

で、結果をいえば、これは、依頼した葬儀社が、ちゃんと、遺骨(骨壺)と遺影を入れられるバッグを用意してくれていて、火葬のあと、そのバッグのなかに入れて、重いので気を付けてお持ちくださいといって渡してくれた。じつは、風呂敷と、桐箱がおさまるかたちのビニール製の手提げ袋を用意して行ったのだけれど、そんな必要はなかった。あとになって考えると、どうすればいいのかと疑問や不安が生じたら、電話でもして、率直に訊くなり頼むなりすればよかったのだが、そのときは、自分で用意しなくては、と思った。(ネット通販を検索すると、遺骨用のバッグというのも販売されている)

ということで、無事に済んだのだけれど、いつ危篤になってもおかしくない状態が1か月以上続き、その間、夜中に頻繁に目が醒めて動悸がしたり、電話がかかって来るとドキッ!と胸が高鳴るし、次第に、歩いているとき地に足がつかないような浮遊感をおぼえたりと、けっこう精神的な負荷が大きかった。

先日は、納骨を済ませたが、その後から、妙に寂寥感が募って来ていて、考えが虚無的になりがちである。おそらくは、十数年後には親を看取り、さらにその十数年後には自分も死ぬことになるのだろうと思ったとき、今後の人生の意味について改めて思わざるを得ない。