2012年・蒼白の少年少女たちによるハムレット 彩の国さいたま芸術劇場インサイド・シアター(大ホール内)


2月22日(水)に、彩の国さいたま芸術劇場で、

さいたまネクスト・シアター第3回公演
2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット
(翻訳:河合祥一郎、演出:蜷川幸雄、演出補:井上尊晶)

を観劇。

この日は、2回公演あって、午後1時開演の昼の部を見た。


会場は、大ホール内のインサイド・シアター。

劇場に入ると、配役表が2種類掲げられていた。ひとつは、稽古開始時の配役。そのとなりに、この日(上演回)の配役。つまり、チラシに載っていた配役と、本番(当日)の配役とでは、大幅に異なっていた。当日の配役表は、パンフレットやチラシ類といっしょに配付もされる。

このカンパニーの公演を見るのは、はじめてで、インサイド・シアターまでは、通常の客席部分を通って行くのかと思っていたら、そうではなく、普段の大ホールの客席部分は開放されておらず、上手側の階段を下りて行き、上手のソデ側から入場するというかたち。

場内掲示の上演時間は、「一幕 1:00〜2:45、休憩 2:45〜3:00、ニ幕 3:00〜4:35」

じっさいの終演時刻は、予定より、2、3分早かった。

所見の回の配役は、以下のようであった。参考のために、プログラムのキャスト紹介から、生まれ年を付記してみた。


浅場万矢(1988年生)…毒殺者(黙劇)、重臣、役者、フォーティンブラス軍、群衆、掃除婦

浦野真介(1984年生)…オズリック、重臣、役者、フォーティンブラス軍、紳士

大橋一輝(1987年生)…マーセラス、重臣、フォーティンブラス軍、群衆、従者

川口覚(1982年生)…ハムレット

熊澤さえか(1984年生)…重臣、役者、フォーティンブラス軍、群衆

小久保寿人(1984年生)…ホレイシオ

佐々木美奈(1986年生)…王(黙劇)、重臣、役者、フォーティンブラス軍、群衆

周本絵梨香(1988年生)…王妃(黙劇)、重臣、役者、フォーティンブラス軍、群衆

鈴木彰紀(1986年生)…フランシスコ、ヴォルティマンド、重臣、役者、劇中の王妃、フォーティンブラス軍、司祭

朕紗友(1979年生)…重臣、役者、フォーティンブラス軍、群衆

手打隆盛(1979年生)…ポローニアス、墓堀り、群衆

土井睦月子(1989年生)…ガートルード

隼太(1990年生)…ギルデンスターン、重臣

深谷美歩(1984年生)…オフィーリア

堀源起(1979年生)…レアーティー

松田慎也(1986年生)…亡霊、クローディアス

茂手木桜子(1980年生)…※怪我のため出演見送り

露敏(1984年生)…バナードー、座長、劇中の王、フォーティンブラス軍、船乗、重臣

内田健司(1987年生)…ルシエーナス、重臣、役者、フォーティンブラス軍、群衆

内田真莉奈(1988年生)…重臣、役者、フォーティンブラス軍、群衆

岡部恭子(1989年生)…前口上役、重臣、フォーティンブラス軍、群衆、掃除婦

長内映里香(1989年生)…フォーティンブラス軍隊長、重臣、役者

河内耕史(1985年生)…重臣、フォーティンブラス軍、群衆、従者

白川美波(1988年生)…重臣、役者、フォーティンブラス軍、群衆

高橋エクレア(1989年生)…コーネリアス重臣、役者、フォーティンブラス軍、従者

高山皓伍(1990年生)…ローゼンクランツ、重臣

平山遼(1992年生)…使者、重臣、役者、従者、フォーティンブラス軍

何嘉晃(1987年生)…重臣、役者、フォーティンブラス軍、群衆

吉武遥(1984年生)…重臣、役者、フォーティンブラス軍、群衆

中西晶(1992年生)…フォーティンブラス、重臣、役者




ステージは長方形で、そのステージの3方を客席(各辺14席×5列)が囲む。その長方形のステージは、短い1辺が正面にあたり、その反対側になる短い辺には、客席は設けられずに幕が引かれていて、幕の向こうが大ホールの奥舞台に当たる、という設営のようであった。

所見の日には、舞台を収録するとの断り書きがあり、座席の一部を空けて、カメラが位置していた。

床より少し高くなっているステージには、黒い幕が被せられていたが、開演が近づくと、いきなり、この幕が取り払われる。と、アクリルガラスででも出来ているのか(?)、ステージは透明で、下の奈落がよく見える。その奈落を楽屋に仕立てて、役者たちが準備をしている様子を見せる。この瞬間は、けっこうなおどろきで、ある意味、芝居の本編以上に劇的だった。

もちろん、これは本当の楽屋ではない訳で、開演前の役者の姿を見せるという演出の一部なのだが、あらかじめ、これからこの若い役者たちがお芝居をしますよ、という前提を提示することで、10代〜30歳前後までという、限られた年代のみで演じられる舞台のハンディをプラスに変えてしまう、上手いアイデアだと思った。

そのステージの下に透けて見える奈落が、芝居のはじまりと同時に、一瞬のうちに、楽屋から本番のステージへと変わる開幕も、劇的だった。つまり、この「ハムレット」のステージは、地上と、そこから透かし見える地下との2階建てになっているのだ。

この演出家は高さのあるセットを好んで用いるような印象を抱いたことがあったが、今回は逆に、地下をステージとして観客に見せてしまうという趣向で、斬新であるとともに、大ホールのステージ上の仮設小劇場という、インサイドシアターの利点を見事に活かしている。劇場をホームグラウンドとして使える芸術監督という立場だから出来ることかも知れない。

ステージの4隅に近い四方には、地下と地上をつなぐ出入り口があって、その4か所が役者の出入りやシーンよって開閉され、移動式の階段が適宜用意され、役者たちは上下を移動する。この4つの出入り口が開いているときと、閉まっているときでは、地下で発する役者の声の聴こえ方が多少異なるのも、インサイドシアターの臨場感のひとつになっていたが、ステージが透明なだけに、出入り口が開いたままで役者がステージ上を動き回るシーンは、舞台との距離も近いので、見ていて、いささか緊張が沸いた。もちろん、稽古を重ねて感覚は身に付いているだろうが、ちょっとした位置取りのミスで、足を踏み外しかねなく見えるのだ。


さいたまネクスト・シアターのメンバーを、無名の若者だとするのは、すでに一種の虚構であって、演劇ファンなら知っている名前は何人もいるはずだし、配付されたパンフレットのプロフィールを見ても、多くのメンバーにプロとしての出演歴がある。タイトルの「2012年・蒼白の少年少女たちによるハムレット」というのも、演出家的な「煽り」が含まれているのか、私は、この舞台の出演者たちが、蒼白い顔をした若者だなどとは思えないし、むしろ、この「ハムレット」を見ていると、思った以上に、演技は感情過多とも感じられた。

クローディアスや先王の亡霊、ポローニアス、ガートルードの親世代に長身の役者を起用して、ハムレット、レアーティーズ、フォーティンブラスの息子世代との間に、分かりやすく身長差を付けていたのは、年齢の幅が少ないカンパニーの不足を補うための配役の工夫なのか。これが、効果的だった。

オフィーリアに少女のような純真さがあってよかったが、たまに、角度のせいもあるのか、表情が年齢相応に見えてしまうときがあった。

話題の特別出演「こまどり姉妹」は、第一幕に1回、第二幕に2回登場するが、インパクトが大きいのは、一幕の終わり近くの出演だろう。尼寺へ行けという、ハムレットとオフィーリアの見せ場に、唐突に、奥舞台から出現し、「ハムレット」の世界に乱入する。芝居と絡むでもなく、リサイタルさながらに自身の持ち歌をうたいながらステージを1周して、立ち去る。

このミスマッチは、まるで、爆笑喜劇の一場面のようだった(日本人の観客は行儀がいいので、開演中の笑いは少な目だったが、休憩になると、大笑いしていたお客さんもいた)。私は、まともに見ないようにした。せっかく、まじめに「ハムレット」が演じられているのに、こんな邪魔立てを考える演出家は、なかなか悪趣味である。無名の若者たちの翻訳劇は、こまどり姉妹の芸に拮抗し得るか、ということらしいが、この試みは、こまどり姉妹にとっても酷な一面があったのではあるまいか?「ハムレット」の世界に乱入して来たこまどり姉妹を見て、その存在をグロテスクと感じたのは、私だけだろうか。うたは堂々たるものだが、厚化粧のすさまじさや、マイクを持つ手が老化現象でかブルブル震える様子は、あまり見たいものではなかった。(どうしてもというなら、墓堀りのあとのシーンに、掃除婦として出て来てうたえば、ちょうどよかったのでは…)


フォーティンブラスが、愚連隊かチンピラみたいな風情の若者になっていたのには、がっかり。ああいうやり方は、ハムレットがセリフでいうところの、フォーティンブラスの人物評と矛盾するし、どうしてあんな人物に自国の後事をゆだねるのかが理解し難くなる。

とはいえ、フォーティンブラスが機関銃をぶっ放して、その場にいた連中を皆殺しにし、ホレイシオまで殺してしまう結末は、気持ちがよくもあった。この舞台のホレイシオは、なんだか格好悪い(立ち姿が変に傾いでいることが多かったり、メガネがずり落ちて来たり)から、ざまあ見ろという気分になったし、ハムレットによる復讐譚というのは、庶民の視点に立てば、王家と宰相一家による不毛な愛憎劇であって、上がこんなことをやっているような国は、この舞台のフォーティンブラスのような人間に簡単に乗っ取られてしまうという、今日に通じる警鐘とも受け取れるからだ。