テアトルフォンテ


2月4日(土)に、泉区民ミュージカル「風の通る街 〜地蔵原の水辺の歳時記〜」(脚本:相馬杜宇、演出:濱田重行、音楽:黒田雄治、振付:カネコキヨミ)という舞台を見に、横浜市泉区民文化センター テアトルフォンテ ホールへ行った。

はじめて、相模鉄道に乗って、横浜から、いずみ中央駅まで、25分。会場のホールは、駅のすぐ側。

14時開演の回で、1時間以上前に着いたのだけれど、周囲は思ったより閑散としていて、ちょっと会場の施設を覗いてみても、だれも並んでいる様子はなくて、コーヒーを飲んだりして時間をつぶして、開場の10分前に行ってみたら、まだだれも並んでいなくて、いちおう、お並びになる方はこちらと案内はしていたが、この状況では、自由席(一般だと1500円)といっても開場前に並ぶ必要はなさそうと判断。

テアトルフォンテは、『客席数 386席(他に親子室5席あり)』という小ホールだが、D列が最前列になっていたから、客席の前3列が撤去されていたことになる。その分、ステージを張り出してあったようだ。そんな小ホールの特性を活かしてか、一部シーンで限られたキャストがマイクを付けたり、ハンドマイクでうたうシーンはあったが、総じて、マイクに頼らずに、うた声やセリフを届けようという姿勢がよかった。

「風の通る街」は、地蔵原という場があって、そこにやって来る人々(子どもたちから大人、犬まで)が抱えているエピソードが交互に演じられ、交わって行くのだけれど、登場する人物やグループそれぞれに、順次、見せ場や、しどころが与えられる発表会的展開なので、とくにだれが主役という訳ではない、むしろ、みんなが主役になるといった構成で、1時間45分(休憩なし)の上演時間は、いささか長く感じた。あくまでも、出演者(参加者)のための舞台といった印象。

キャストは、28人。(キャストとして載っていないもうひとりは、演出家だったのでしょうか?) 客席の最前方上手側スペースで、4人編成のバンド(クレジットによれば、くろだゆうじと織音座)が生演奏。


入場の際に、パンフレットやチラシ類といっしょに、「下敷き」が配られたのだけれど、これがじゃまで、置き場に困った。いまから思うと、開演前にでも、じゃまだからといって返してしまえばよかったのか。この「下敷き」には、ホール内での注意事項や緊急時の避難経路などが書いてあったようだが、これを下敷きにしてアンケートに記入しろという意味合いでもあるらしく、帰りに、アンケート用紙、鉛筆といっしょに返却を要求され、その押し付けがましさにはあきれた。

こんな下敷き配付作戦を行なってまで、アンケートを書かせようとする劇場やホールに入ったのは、はじめて。いい気持ちはしなかったが、ここまでされると、簡単に記入出来るところは書いてあげようか、という気になりかけたから、効果がある作戦かも知れない(が、配られるほうは、とっても迷惑)。

アンケートというのは、回答の内容だけでなく、回収率も問題になるという話を何かで読んだことがある。泉区民ミュージカルは、このテアトルフォンテという公共ホールの主催事業のようだし、出来る限りアンケートを書かせて回収したいという意図だろうか。


ちょっと検索してみたら、たとえば、新国立劇場主催公演でのアンケートの平均回収率は、8.3パーセントとある。
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/kondankaitou/kokuritsugekijyo/pdf/sankoshiryo.pdf

私は、むかしは、けっこうアンケートを書いていたけれど、近年は、まず書かない。終演後のあわただしさのなかで、適切なことが書けないというのもあるし、そもそも、観客がアンケートを提出する理由のひとつに、次回公演や同じ主催者による公演の案内が欲しいからというのがあったと思うが、いまは、インターネットで多くの情報が得られる。振り返れば、せっかくアンケートに住所や名前を記入しても、公演案内など届かないケースも少なくなかった。


横浜市の区民ミュージカルといっても、区によって、主催する団体も異なり、ステージの規模や、舞台の作り方、スタンスなど、千差万別のようである。

商業的な公演では、評価の目はキャストに向けがちだけれど、市民ミュージカルって、どんな舞台をつくったかで、主要スタッフ(手がけた演劇人)を評価する意識が強くなる。このあたりもまた、市民ミュージカルを見るときのおもしろさかな。