「妻をめとらば〜晶子と鉄幹〜」を観劇。


明治座で、「妻をめとらば 〜晶子と鉄幹〜」(マキノノゾミ作「MOTHER―君わらひたまふことなかれ」より、マキノノゾミ・鈴木哲也脚本、宮田慶子演出)を観劇。

8月9日(木)の公演で、11時開演。この日は、昼の部のみ。

30分の休憩が2回あって、一幕65分、二幕55分、三幕50分と掲示されていたが、観劇日の終演は、2時55分。一幕がタイムテーブルより、5分ぐらい長かった。


子役の配役は、↓に書いたので、ここでは、略。
http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20070728/p2

主な出演は、
藤山直美(与謝野晶子) 香川照之(与謝野鉄幹)

太川陽介(北原白秋) 岡本健一(石川啄木) 山田純大(平野萬里) 山本未來(平塚雷鳥) 匠ひびき(管野須賀子) 松金よね子(石川カツ=啄木の母) 岩崎ひろみ(千代=与謝野家の女中) 小宮孝泰(安土兵助=尾行の刑事) 木下政治(佐藤春夫) 横堀悦夫(蕪木貴一郎=安土の上役の官憲) 曽我廼家玉太呂(八百源)


ひと言でいってしまえば、これは、商業演劇の傑作。(ここ3、4年の間に私が見た大劇場のお芝居ということでは、「恋ぶみ屋一葉」と並ぶ)

もともとが新劇(青年座)に書いた戯曲だからか、幸徳秋水事件の世相を背景にした社会性があり、そこに座長芝居の大衆的な面白さが加わっている。

朝日新聞の劇評(8月10日付夕刊、山本健一筆)を読むと、原作から変更のおおよそは、主筋はそのままで、場割りを変更し、原作戯曲には登場する大杉栄を出さずに、晶子と鉄幹の夫婦愛を強調した、ということのようだ。

藤山直美座長が放つアドリブに、共演者が素で笑っていたり、返せなくて詰まった様子だったりと、臨場感が増して、またおもしろい。出演者の内輪ウケではなく、客席を沸かせ、笑わせてのことだから、舞台が活気づく。

第二幕では、刑死した管野須賀子(匠ひびき)を幽霊として登場させ、晶子(藤山直美)にはその姿が見え、声が聞こえるとした設定が楽しませる。第三幕でも、須賀子と石川カツ(松金よね子)が幽霊で現れるが、いずれも、ちゃんとすっぽんから迫り上がっての登場だ。

もとは弟子だった晶子を妻とし、晶子は歌人、作家として名声を得るが、自分は詩人として時代から取り残されて行く。打開の道を模索しながらも、妻に遠慮しつつ、次々生まれる子どもの世話をする。そんな鉄幹(香川照之)のコンプレックスを上手く演じているので、芝居の核である夫婦の機微もあざやかだ。


子役の使い方が、また、いい。

双子のヤツオとナナセが揃って「はーい」と手を挙げるところなどは、なんともかわいいし、子どもたちがみな元気で、屈託なく演じていて、舞台が弾む。

第一幕 第三場の与謝野宅での、官憲たちとの対峙で張りつめたシーンに、お使いに出ていた長男のヒカルが原稿料をもらって帰って来る。そのタイミングのすばらしさ。息を呑む緊張感のなかに、子役が飛び込んで来て封筒に入った稿料をさし出すと、場の緊張がさっとほどけて、そこから、第一幕の幕切れへと運ぶ演出の妙。子役の呼吸のよさもあって、芝居の醍醐味となった。


平野萬里(山田純大)に存在感がある。

第三幕の石川啄木(岡本健一)は、すでに死んでいるという設定だが、地に足がついていないような浮遊感のある演じ方に上手さ。

三幕あって場がトータルで10場とほどよく、転換で幕を下ろしても、いい意味でひと息入れる心持ちでいられるのは、作品が良い証拠だろう。


子役は、第一幕、二幕は同じ役での出演。第三幕になると成長するので、2役演じる子は、三幕からは次の役にチェンジし、双子のヤツオ・ナナセは、少し大きい子役にバトンタッチ、という流れ。

観劇日は、金子尚太郎くん、松本頼くん、早川恭崇くん、川原弓佳さん、森田結海さんの出演だったと思う(が、客席からの見取りなのでまちがいがあれば、訂正を請うもの)。小っちゃい3人は、見分けられずに、御免。


この芝居は、明治42年(1909年)1月〜大正2年(1913年)10月までが扱われていて、晶子・鉄幹夫妻に8人目の子ども(アウギュスト=舞台では泣き声だけ)が生まれた後ぐらいまでだ。

カーテンコールには、メインキャスト+子役8人が登場。