懐かしい電話のかけ方



堀井憲一郎「若者殺しの時代」(講談社現代新書、700円税別)を読んだ。



1983年という年をターニングポイントと見て、「若者」をとりまく社会状況の変化を追っている。その頃の自分は何をしていたかなと、自身のむかしに重ねて読むとうなずけることも多く、あっという間に読めて、おもしろい本だ。



おしん」をピークに視聴率が低下して行くNHK連続テレビ小説について、敗戦と戦後の復興という共通体験がドラマの人気を支えていたのであり、それが過去のものになるに従って、女性の半生をえがくという朝ドラの人気も落ちて行ったという指摘に、なるほどと思う。

いまの大学生は、単位を「取る」といわずに、単位が「来る」というらしい。ホントなのか!?と、びっくり。



携帯電話の普及との関わりも、同書で触れられているが、



その部分を読んでいて、固定電話しかなかった子どもの頃は、友だちの家に電話をかけるときには、常套的いい回しが確固として存在していたことを思い出した。

たとえば、相手の家のひと(主に親)が電話に出たら、こんな感じでいう。

「××小学校何年何組の誰それ(自分の苗字)と申しますが、○○くん(友だちの名前)はいらっしゃいますか」

「××中学校何年何組の誰それ(自分の苗字)ですが、○○さん(クラスメイトの名前)をお願いします」



私は、これが恥ずかしくて恥ずかしくて、ならなかった。子ども心に、たかが、子どもが子どもに電話をするだけなのに面倒臭いことだと思い、電話をかけるのが苦手だった。でも、こうした常套句を使わないと、誰々さんちの子は電話のかけ方を知らないとか、礼儀正しくないと思われてしまう、というプレッシャーがあって、仕方なくこれをいわざるを得ない。



連絡網など回って来ると、さあ大変だ。電話をかけるのは、同じクラスでもあんまり話したことのない女の子。「○○さん(クラスメイトの名前)をお願いします」の、○○は、ファーストネームをいっちゃっても大丈夫だろうか、苗字で押し通したほうがいいのか。本人が電話をとった場合は、どういおうか。待て、たしかあの子は姉か妹がいなかったか?声で本人かどうかは分からないぞ。とりあえず、電話がつながったときにいうことを紙に書こう、と何パターンか、セリフのように紙に書く。電話の前で、練習。ため息。黒電話の前で、無駄な時間が刻々と流れて行くのだった。(笑)





そういえば。

・・・ここ数年、大学生のことを学生といわずに、生徒というひとが増えた。私の周辺に限ったことではないと思う。いつだったか、テレビで、現役の大学教授が自分の大学の学生を「生徒」といっていて、非常に不快だった。最近の大学生は、生徒といわれたり、自ら生徒と口にすることに違和感はないのだろうか。