正しい教室 (Zeppブルーシアター六本木)


3月22日(日)に、Zeppブルーシアター六本木で、

「正しい教室」(作・演出:蓬来竜太)

を観劇。

[出演] 井上芳雄 鈴木砂羽 前田亜季 高橋努 岩瀬亮 有川マコト 小島聖 近藤正臣

http://www.parco-play.com/web/play/tadakyo/


Zeppブルーシアター六本木へは、はじめて行った。地図を頭に入れて、地下鉄の六本木駅から芋洗坂を進んだのだが、ありそうな場所への入り口がない(あとで、Zeppブルーシアター六本木のサイトの地図を見たら、芋洗坂を下ったらダメと、×印が付いていたが、芋洗坂を来ちゃったんだからしょうがないじゃん)。

で、どうなっているのかなぁと、スマホであたりの地図を見直していたが、よく分からない。
と、そこへ井上芳雄ファンと思しき年配のご婦人3人連れが通りがかって、ここに何か書いてあるわ、ここからは行けないって、ほらそっちから鳥居坂とかいう坂を上るのよ、というのが聞こえて、なるほど!そうかと合点して、そのご婦人連を追い越して歩いて行くとまもなく、麻布十番駅方面から来たと思われるひとたちが続々と坂を上っていたので、その後に続いて行くと、到着。

それにしても、この劇場があるのは、どういう場所なの? 奇妙なところだった。あのインターナショナルスクールの学バスはいったい何?あそこはどこの駐車場? だれが所有している土地なのかな? 劇場自体も、まさしく仮設って感じの仮設劇場で、椅子の座り心地もよくないし、前方から1列ごとに段差がついているにしては、その段差が中途半端なので、舞台が見やすいとはいえない。開演中にお客さんの出入りがあると、床が音を立ててすさまじい。

なぜか、ロビーの、客席へのドア付近に、ご自由にお食べくださいと、ガラス壺にのど飴があって、みなさん続々と手を入れて取っていたので、私もひとつもらって、開演前になめた。

ここは、もともとはブルーマンの公演のための劇場で、その後、アミューズが韓流ミュージカルを上演する劇場になったが、今年からはまた、エンタメ系8社による共同運営に替わり、Zeppブルーシアター六本木という名称に。
「正しい教室」は、パルコの製作だが、そのパルコも運営会社のうちのひとつである。


前日夜が初日で、この日が2日目。

12時開演で、上演時間は、2時間。途中休憩なし。

この日は、カーテンコールが3回あった。

公演プログラム、1500円。ポスター(大)、1000円。ポスター(小)、500円。(どれも買わなかった)

「正しい教室」は、このあと、4月は、PARCO劇場で上演される。


ステージ上には、小学校の教室のセット。黒板には「二月」とあった。休日の6年1組の教室で、同窓会が開かれる。

全部で11人いたというクラスメイトのうちの6人が参加+そのうちのひとりの妹が付き添いで出席。さらに、呼んだはずのないかつての担任教師も姿を現して・・・登場人物は、8名。(他に、声の出演がある)


児童・生徒時代を振り返れば、問題教師が担任になってしまったとか、クソ教師にひどい目に遭わされたとか、教師から暴力を振るわれた、セクハラされた、勘ちがいの濡れ衣や連帯責任で理不尽に怒られた、評価に納得が行かなかった、などなど、だれでもが、学校の先生に関連したマイナスな思い出や恨みつらみが、ひとつやふたつはあるのではないか。
普段は記憶の底に封印されていても、何かのきっかけで、よみがえって来てしまう、対教師の不愉快な思い出。「正しい教室」は、そんな思いを抱えている観客の気持ちをくすぐる芝居である。

私も、小学校時代に、担任教師のせいで地獄のような1年間を過ごしたことがあるので、この舞台で、嫌われ者の担任教師が落とし穴に落とされて、杖が必要な脚になったというエピソードには、じつのところ溜飲が下がる思いで見ていたのだが・・・・この落とし穴のエピソードは、美談につながる「二十四の瞳」のそれを逆用するかたちで使うことで、名作のパロディ的な効果をねらったものでもあろう。

だけど、子ども時代のことって、記憶のふたを開けてほじくりまわすのは、あまりいいことではないね。知らなければよかったことを知ってしまったり、思い出すことが新たな心の疵にもなりかねない。

子どもの頃のことを知られているというだけでも、じつは弱味になってしまう。この芝居でも、子どもの頃の話を持ち出すことで、元担任が教え子に対して優位に立つような瞬間があって、なんともいやな感じが漂うのである。

小学生ぐらいだと、やんちゃなタイプの児童のほうが、力で押さえつける威圧型の教師にすり寄って迎合的に従いやすい傾向があるが、そういうところもセリフに織り込まれていて、売れっ子劇作家はさすがに鋭いな、と思わせる。


「絶望」の6年1組山根綾香ちゃんが、手紙でなく、実物が登場して、あの教師を窮地に陥れたらもっとおもしろかったのに…

「良い」先生であれ、「悪い」先生であれ、どんな教師も結局のところは反面教師でしかないのかも。