杉村春子 女優として、女として



フジテレビが、女の一代記シリーズとして、その最終夜(11/26)に放送する米倉涼子主演のドラマ、「悪女の一生〜芝居と結婚した女優・杉村春子の生涯」



その原案になっているのが、中丸美繪「杉村春子 女優として、女として」文藝春秋(本体2500円+税)で、最近、文春文庫にも入った。



以下の文章は、2003年4月28日(月)に、当時の「観劇を遠くはなれて」に書いたものですが、時宜にもかなうので、少し手を入れて再掲示します。(なお、文中の敬称は略しています)





新劇を代表する俳優で、日本の「3大女優」(舞台おける3大女優とは、(初代)水谷八重子杉村春子山田五十鈴 だそうだが、たしかに、ごもっともである)のひとりとされる故杉村春子の評伝が、上梓された。

中丸美繪 著「杉村春子 女優として、女として」である。



冒頭、"プロローグ"を一読すれば、この本の面白さが早くも予感出来る。二度の結婚、劇作家森本薫との恋。

お気に入りの共演者だった北村和夫江守徹の言葉、坂東玉三郎の見た杉村、文学座を代表したもうひとりの女優、演出家長岡輝子による杉村観。



以下、本編では、さらに多くの関係者への丹念な取材をもとに、杉村春子の人物像、女優としての道のりに、黎明期からの新劇の歴史がシンクロする内容で、非常に読み応えがある。

いたずらに杉村礼賛に傾くことなく、バランスよい批評的視点が保たれているため、杉村と関わった人物たちも脇役におちいらず存在感があり、本の帯にある「決定版評伝」という惹句に相応しい名著だ。



杉村春子、あるいは文学座について、前々から、機会があれば、知りたいと思っていたことがいくつかあった。



まず、友田恭助と田村秋子のための劇団としてつくられた文学座が、杉村春子の劇団 になって行った経緯。

戦後、いちどは舞台復帰した田村秋子が引退したのはなぜか。

(戦後の新劇史上に有名な)文学座の分裂と、その後のベテラン俳優たちの脱退の事由や背景。

文学座において、長岡輝子という女優はどういうポジションのひとなのか。

新劇団のなかでは左翼的な思想からは遠いとされる文学座の杉村が文化勲章を受けなかった理由。

・・・これらのことは、いずれも この本を通読すれば、なるほどと分かった気持ちになる。なによりも、多くの関係者が語った「ことば」が、貴重な資料であり、読みどころだ。



田村秋子の引退が、飯沢匡の、「芸術新潮」に書いた文章に起因したというくだりは、(当時まだ生まれてもいない私には)新鮮なおどろきだった。



女優松下砂稚子の「文学座の女優には(杉村春子モデルと、長岡輝子モデルの)二つの生き方が示された」という言葉は、長岡輝子のポジションをよくあらわしているのだろう。



戦後、文学座の中心女優として活躍しながらも、杉村への評価には毀誉褒貶があり、評価が定まったのは、むしろ60歳を過ぎてからだった。

リアリズム重視のかつての新劇のなかで、独特のくせや自分を見せる所作が、ときに "新派的"と批判されながらも、リアリズムにおさまり切らない杉村の「芸」ともいうべき部分が、歌舞伎俳優や新派の名優との競演では武器となり、彼らにひけをとらない成果を見せた・・・というあたりは、後年の、商業演劇での活躍や名声への伏線ともなっていて、印象的な記述だ。



文学座を舞台にして、杉村春子福田恆存三島由紀夫、木村光一という演出家・劇作家との関係をつづった章は、分裂含みだったり、女優と芸術家の対峙、という緊張感をはらんでいて、じつにスリリングである。



ある作家が、むかしこんなことを書いていたのを思い出した。

劇団というのは演出家や幹部俳優に気に入られた女優が出世コースを掴むものだが、文学座は女優が強い劇団で、主演女優に引き立てられて男優が出世するのだ、と。今回、この杉村春子をえがいた評伝で、とくに北村和夫江守徹との間のエピソードを読むと、杉村との信頼関係の重要さが充分にうかがえる。



近年は、トーク番組などで酒の席での失敗談をおもしろおかしく語っている江守徹だが…懇親の席で酔って記者に悪態をつくのを、同じ席にいた杉村がとりなすこともあったという。杉村からの信頼によって、俳優としてはもちろん、演出、翻訳、劇作へと活躍を広げることになったという人物らしいエピソードのひとつとして読んだ。



"あとがき"によれば、著者の目論見のひとつに、劇作家森本薫の生涯の一端をえがくことがあった、とある。

森本亡き後、「女の一生」が、劇団の事情や、中国での上演にこだわる杉村春子の思惑などで、作者からはなれた場所で、幾度も改訂されて行く過程が、私には興味深かった。





追記

著者の中丸美繪氏には、他に、サイトウ・キネン・オーケストラに名を残す斎藤秀雄の評伝「嬉遊曲、鳴りやまず」がある。新潮文庫版を入手したが、こちらもたがわず、たいへんに面白く、好著。