モーツァルト! 8月9日昼(帝国劇場)



8月9日(火)は、帝国劇場で、「モーツァルト!」を観劇。

12時30分開演の昼公演。



中川晃教のヴォルフガングに、黒沢ともよのアマデ。



およそ10日ぶりで、8月になってはじめての観劇。

月のはじめは、黒沢ともよちゃんで、ということで演技(縁起)がよいね。



「何処だ、モーツァルト!」では、ともよ嬢、上手側の脇舞台にかかるあたりまで走って行って、その大胆な舞台の使い方に感じ入った。



「影を逃がれて」で、インク切れを起こしたアマデが、正面を見据えて大きく目を見開き、呆然として固まる一瞬がすばらしかった。黒沢さんのアマデは、怜悧な子どもならではの残忍さみたいなものが、チラチラと覗くのが魅力だ。



伏し目がちにして、視線を流すように相手を見たり、(逆に)目線を切ったりする目の使い方が、子ども離れした神童の矜持を感じさせる。彼女のアマデが、第一幕の最初のメスマー邸で、演奏を聴く客たちに配る視線が、独特。



アマデはモーツァルトの「才能」だから、ヴォルフガングが年齢を経て、音楽家としての名声が高まれるにつれ、「才能」も成長しているのに、アマデの姿は子どものときのままで変わらない。劇中で見せるアマデの変化、ヴォルフガングとの距離感を、内面だけで成長しつづける「才能の姿」として見るのも、また一興かも知れない。





「僕はウィーンに残る」で、コロレドのもとに「乱入」したとき、アマデの出方やタイミングがそれぞれにちがっているので、今後の観劇で、そのちがいを整理しておきたいものだ。



ところで…今年のアマデって、ともよ嬢に限らず、ズボンからひざが露出することが多過ぎる気がする(かわいいんだけどね)。





ヴォルフガング中川氏の左手のつめは、この日は、5本とも同じ色に塗っていた。青系の濃いめの色。



木村佳乃さんのコンスタンツェが、面白かった。「歌詞」に忠実なコンスタンツェ像、とでもいえばいいか。前任の西田ひかるさんとはちがうアプローチが新鮮。とくに、第一幕「ウェーバー家」のシーンは、前任者とはかなり動きやすることがちがっている。ウェーバー一家と新任コンスタンツェで、新しく芝居をつくった模様。

ただ、第二幕の「ダンスはやめられない」は、せっかくのソロなのに、歌詞が聴き辛いことが多かった。





ヴォルフガングとアマデが心中したあと、白い羽根ペンが舞台に残っていて、フィナーレの間も(前の場の余韻のように)ずっと舞台の上に。

もちろん、フィナーレでヴォルフガングとともに登場したアマデの手にちゃんと白い羽根ペンがあったことは、いうまでもなく。(舞台の上の羽根ペンは、カーテンコールで幕が上がったときには、なくなっていた)



カーテンコールは、オーケストラに拍手をしたあと、ぴょんぴょん跳んで後ろにさがる黒沢ともよちゃんが、おもしろーい!





最後の最後の、緞帳前のヴォルフガングとアマデは・・・

下手端っこにアマデがちょこっと出て、すぐにいなくなって、また出て来て、アマデに誘われてヴォルフガング登場。舞台中央でお辞儀のあと、中川、黒沢とジャンピング投げキス。アマデがひざをついた姿勢から両手で、中川さんへ向けてキラキラがあって、下手に戻ってふたり拍手にこたえて、引っ込んで、了。(あ、引っ込む前に、ともよ嬢がなんかおもしろい顔していたが、説明が難しいので、略)





蛇足だけれど・・・

8月の指揮者、塩田明弘氏。けっこう老けたよね。むかし、「アニー」で指揮をしていた(94年と95年だったか)のが懐かしい。