裸電球に一番近い夏 (紀伊國屋サザンシアター)
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場 創立50周年記念青年劇場ユースフェスティバル
「青年劇場が高校生と芝居作るってよ」企画
「裸電球に一番近い夏」
作:古川健
演出:藤井ごう+青年劇場俳優による演出チーム
5月9日(土)は、「百日紅」の初日舞台挨拶を見たあと、夕方からは、新宿の紀伊國屋サザンシアターで、この高校生たちによるお芝居を見た。
過去ログのこの公演(→http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20150423/p5)である。
日本橋での映画の舞台挨拶が終わったのが13時で、この舞台の開演が18時。間が5時間もあったのに、日本橋と銀座で買い物をしたり、食事をしていたらすぐに時間が経ってしまった。
二日間で2ステージあるうちの一日目で、18時開演。上演時間は、2時間。
座席は、自由席。この日の客席は、7〜8割は埋まっていた。
作者が、都立駒場高校の演劇部員だったときに書いた脚本で、手を入れたといっても、さほど直してはいないらしい。高校生が上演時間が2時間に及ぶ、それも、戦時中を舞台にした脚本を書いていて、それをいま上演しても、それなりに見せられるというのは、けっこうすごいことなのかも。
昭和18年から、年にいちど、夏にやって来た移動演劇団と、とある村の人たちのささやかな交流をえがいたもの。戦意高揚劇を上演しては次の場所へと旅をしていた移動劇団は、一日ふつかの滞在ながら、毎回、土地のひとたちからは大いに歓迎されたが、翌年、翌々年と来訪を重ねるに連れ、土地の人びとにも、また、移動演劇団のメンバーの身の上にも、時勢と戦況を反映した変化が起きて行く。
そして、3度目の来訪となった昭和20年の夏は、8月15日。その日、終戦を知りながらも、芝居を楽しみにしていたからと土地のひとたちは上演を強く望むが、戦争が終わったのに戦意高揚の芝居など出来ないという思いと、役者として求められているのだから上演したいという思いの狭間で、劇団員たちは葛藤する。
最後に、(冒頭と同じ)移動劇団の演目の一部シーンが劇中劇として登場したところで、劇中劇のラストを変えて上演するという結末になるのだな、ということは分かってしまうが、それはそれで、上手く創ってある、と思った。
ただし、その2回ある劇中劇のシーンで、お侍が、大・小の刀を逆に差していたのは、あきらかに変だった。あれは、どうしたの?
出演者の高校生たちは、皆、上手く演じていて、割りと淡々と進むシーンが多いこの芝居を飽きさせない。と同時に、この作品は、高校生が演じていることが、ポイントだとも思った。たとえば、既成の劇団や俳優が、相応の役で演じたら、かえってウソっぽく見えてしまいそうだ。
少年から年配者まで、全ての役を高校生が演じている上に、男子キャストが少ないので、女子が男役を演ってもいるから、パッと見ただけでは、登場人物の年齢の上下もよく分からない。プログラムの配役と首っ引きで見る訳にも行かないから、セリフを聞きながら登場人物の年齢や、上下関係など、見る側は、読み解く情報が多くなる。そのあたりに、観客を集中させる一因があったはずだ。
プログラムの配役によると、一部ダブルキャストで、役は20ある。が、当日は、22、3人が出演していなかったかな?(全キャストは27名なのだが、そのあたりはどうなっていたのだろう) また、この公演を紹介した某新聞記事には、スタッフ(照明)参加が2名とあったが、プログラムには、1名しか載っていなかった。