ひばり (シアターコクーン)

8日(木)は、シアターコクーンで「ひばり」(ジャン・アヌイ・作、岩切正一郎・訳、蜷川幸雄・演出)を観劇。

前日が初日だったので、2回目のステージ。

午後2時開演。
ロビー表示の時間割は、一幕 1時間40分、休憩 15分、二幕 1時間30分。
観劇回の8日昼は、カーテンコールが終わったのが、5時29分頃だった。

退屈はしないが、長い(夜の公演を択ばずによかったと思った)。加えて、歌舞伎や商業演劇の30分(乃至25分)の休憩に馴染んでいると、幕間の短さもあわただしい。座っていられない、身体をほぐす必要ありと、休憩中は、ロビーに歩きに出るひと少なからず。
ストレートプレイなのでお腹が鳴らないようにと、しっかり腹ごしらえをしておいて、正解。


時間になると、役者があちこちから出て来て、舞台やその周辺で、お互いに話をしてみたり(といっても、舞台に近い席ではなかったから、じっさいに話していたのか、そういう様子でいたのかなどは不詳)、男優の幾人かは、衣裳に着替えたり、靴を履いたり、鎧を着たりと芝居の準備をするのを客前で見せる。だから、「ひばり」というこの芝居の裁判が「事実」という設定ではなくて、ジャンヌ・ダルクの物語として「観客の前で演じられる裁判劇」だということが、冒頭から明かされている格好だ。

1993年に、PARCO劇場で見た劇団四季の「ひばり」では、最後に、火あぶりの途中で「止メ」が入るまでは、その「仕掛け」が分からずに見ていたと記憶している。ずっと、劇中の「裁判」として進行しているのだと思って素直に見ていたから、歌舞伎のチョンパのようなそのシーンの演出での驚きは、記憶が薄れたいまでも印象にある。
異端として処刑されたが、後には聖女として称賛されるという、ジャンヌをめぐる変化を重ねてあるのだと受け取るならば、最初に芝居の「仕掛け」を見せないほうが劇的な気がするが・・・戯曲の指定がどうなっているのかは、未読なので私は知らない。

今回の蜷川版「ひばり」では、このジャンヌは演じられていると分かっているからどんでん返し的な驚きは薄いのだが、松たか子演じるジャンヌがそれらしく見えて来れば来るほど、虚実が曖昧になって緊張感が増幅して行く面白さ。
宗教嫌いの目からすれば、異端審問官の壤晴彦は存在感からして巨悪そのものだし、ジャンヌは口の上手いかわいいペテン師に見えて、ジャンヌと男たちの関係は、まるで、今日的な騙す者と騙される者のようでもある。

ジャンヌが聞いたという(ミカエルの)お告げの声を、松たか子が声色でしゃべるのだが、これが上手くて、他の役者がいっているのではないかと思ったぐらい。不気味さを醸し出していた。

四隅に立つろうそくの火も、またシャンデリアのそれも、本火が揺らめく。客席通路を使った演出や、役者の出入りがあるのは、(この演出家では)いつも通り。

公演プログラムは、1800円。
(高いと思う。が、そもそも演劇公演のプログラムは、多少値がはっても買う客は買うが、たとえ800円や1000円でも買わない客は買わないものだ、と聞いたことがある。私も、一時期、特に好きな演目以外のプログラムは買わないことがあったが、いまとなっては後悔のタネ。むかし芸術座で見た女優座長公演や、80年代にいくつか見た劇団四季公演のプログラムを持っていないのが、残念。と、余談に流れたところで、了)