六月大歌舞伎 夜の部


6月23日(土)は、歌舞伎座で、六月大歌舞伎の夜の部を観劇。

今月、昼の部は見ていないが…昼の部「侠客春雨傘」での、藤間齋(いつき=幸四郎の孫で染五郎の長男)初お目見得が話題の、6月歌舞伎座である。


さて、夜の部は、4時30分開演。

筋書き、1200円。

開演前には、ざっと舞台写真を眺めたが、初お目見得(齋)くんと、(後見で出ているらしい)天王寺屋の御曹司の他には、子役の写っているものは見当たらなかった。


夜の部の最初は、「御浜御殿綱豊卿」

私が「御浜御殿綱豊卿」をはじめて見たときの綱豊が、市川染五郎だった。今回は、片岡仁左衛門の綱豊で、染五郎富森助右衛門に回った配役。

染五郎丈は、ゆくゆくは、綱豊卿を持ち役にするのだろうから、いわば綱豊役者がふたり対峙する格好で、そこに配役の面白さがあった。

身分、立場、器量…と、両者は対照的なのだが、助右衛門を綱豊役者が演じることで、見た目による対比は薄まる替わりに、両者の関係を表裏に見せる効果があって、想像力を刺激された。

仁左衛門丈の綱豊卿には、その風姿以上に人間臭さがある。

子役のお伊勢詣りおいぬ某は、下田澪夏さん。この子はもう、歌舞伎の子役としては、おそらく何を演っても上手い。以後も子役として歌舞伎に出つづけるならば、さらにいい役に出会えることだろう。

今回の「御浜御殿」では、伊勢詣りおいぬ某の出番が二度ある。

まず、上手から出て、お喜世(中村芝雀)と話していた江島(片岡秀太郎)の前へ来て、柄杓を差し出し、節をつけた口調で一文の報謝を求める件り。岩波文庫版の「元禄忠臣蔵」(上)では、282頁。おいぬ(小僧)の道中事に応じた江島の「楓さんのおいぬ(小僧)」云々のセリフもちゃんとあった。

二度目は、下手から出て、綱豊の前に来ると、節をつけ「どうか一文の御報謝」と柄杓を差し出すが、お殿様に「銭は持ったことがない」といわれ、一文も持たずによく道中がなるものだ、と生意気をいうと、行きがけに振り向き、プイッとして立ち去るという、この演目ではおなじみの場面。

今月は、幕開きに、御浜遊びの女中どもが綱引きをしていたが、綱引きを出すくらいなら、おいぬ某ちゃんが、大女の飛脚にぶつかって倒され、腕をすりむいて泣く、というところをやって欲しいものである。・・・と、書くのは易いが、25日間、あの拵えで毎日転ぶというのも、けっこう面倒そうではある。


「盲長屋梅加賀鳶」と「船弁慶」を楽しもうと、花道側の席を取っていたので、「加賀鳶」の勢揃いが、なかなかの壮観。この芝居ははじめて見たが、松蔵(中村吉右衛門)の立ち位置は、鳥屋を出たすぐのところなのか、と。本舞台へ入ると、鳥屋のなかからも続々と鳶たちが湧き出て来るのも、見る目に賑やか。

勢揃いは、竹垣道玄(松本幸四郎)の話とは別筋というが、木戸前の勢揃いで松蔵を見せておくことで、後の場で、登場する松蔵についての説明が要らなくなる訳でもあり、ただ役者を見せるだけの場にはなっていないのが、いい。

子役は、菊坂盲長屋の場の小按摩寒竹に、野田暁布くん。竹町質見世の場の、伊勢屋の丁稚三太に、黒川樹くん。

この丁稚は、セリフもけっこうあり、また、道玄の強請りの間も番頭たちと並んで座っている上、番頭の意を得て、鳶の松蔵を呼びに行くという役目もあり、丁稚としては、いい役どころだ。演じていた黒川樹くんという子も、芝居ごころが感じられて、なかなか上手い。

2005年1月に、同じ幸四郎丈の梅吉/道玄で、この芝居が歌舞伎座にかかったときの子役を見てみると、「小按摩寒竹:片瀬諒、丁稚三太:橋本勝也」。
なるほど、このときの配役からも、三太という丁稚は、子役としてはそれなりの役だと思ってよさそうだ。


歌舞伎十八番の内船弁慶は、染五郎静御前/知盛の霊、幸四郎の弁慶、芝雀義経、他。

後シテの知盛が振り回す長刀で、首を刎ねられるのではないかと思った(笑)のは、花道側の座席ならではの醍醐味。幕外になってからは、さらに、また臨場感たっぷり。選んだ座席が功を奏して、「船弁慶」が楽しめた。

「御浜御殿」は、戯曲では、最後の能舞台背面の場は、綱豊が知盛の霊に扮して登場することになっている(じっさいの上演では、「望月」)。能と歌舞伎のちがいはありながらも、つい先刻の「御浜御殿」の幕切れと想いを重ねつつ、「船弁慶」を眺めるのもまた一興であった。