時代の証言者 中村吉右衛門 9



読売新聞朝刊に連載の「時代の証言者」

歌舞伎俳優 中村吉右衛門の第「9」回(5月22日付)は、『死ぬ演技の最中に失神』



1961年6月、八代目幸四郎を中心とした東宝劇団が旗揚げ。第1回公演の「野薔薇の城砦」で、当時萬之助の吉右衛門は、木の上のほうに縛られて、鉄砲で撃たれ死ぬ役。木に吊られるのには、落下傘のベルトを使った。



落下傘のベルトというのは体をやや後ろにそらして腰を掛ける体勢で重力に対抗している。前に倒れていくようにはなっていない。ところが撃たれて死ぬと前のめりになる。そのために、ももの血管が締め付けられた。そして何分かそのままになっている。中日ぐらいのことでしたか、耳が遠くなってきた。要するに失神したんです。

気がついたら楽屋に寝かされていた。

役者は、撃たれたら前に倒れたくなるものだが、事前に安全を確認した大道具のひとたちも、役者の演技までは想定していなかった。腰掛ける状態で死ぬようにしてつづけたが、『そのあとしばらく足に血が通わない感じが残りました。



東宝の舞台では、芸術座で、いつくか主役もやらせてもらった(「太宰治の生涯」「赤と黒」など)が、兄の芝居に出たり(「蒼き狼」では弟役)、女優の相手役での出演が多く、話題になる仕事はあまりなかった。



66年の「赤と黒」(芸術座)では、草笛光子岸田今日子と共演。

そのとき、おたふくかぜにかかってしまったんです。それが皆にうつって。私は39度の熱を出して、本当に雲の上を歩くというのはこういうことかと思いましたね。

この舞台の宣伝で『岸田今日子さんとパリに行きました。岸田さんがお知り合いということで、岸恵子さんが案内してくれました。靴を買いたいので靴屋に行くと、通訳もしてくれる。ところが、靴を試そうと、右足を脱いだら靴下に穴が開いていて、いけねえと思って左を脱いだら左も開いていた。日本ではあまり歩き回らないのに歩いたせいかも知れません。恥ずかしい思いをしました。







・・・芸術座最後の公演となった「放浪記」(2005年3月)のプログラムがあると、こういうときに便利。

赤と黒」(66年5月1日〜6月12日)は、大岡昇平・脚本、菊田一夫・演出。現在の吉右衛門中村萬之助の名前で出演した最後の作品、とのこと。兄の市川染五郎(当時)も共演している。