時代の証言者 中村吉右衛門 8



読売新聞朝刊に連載の「時代の証言者」

歌舞伎俳優 中村吉右衛門の第「8」回(5月20日付)は、『父に先んじ、兄と東宝移籍』



いよいよ話は、東宝移籍の件り。(以下、少し多めの引用で)



1961年2月に染五郎(現・幸四郎)、萬之助(現・吉右衛門)兄弟が、東宝へ移籍。つづいて父の幸四郎(八代目)が市川中車たちとともに移籍し、高麗屋一門の東宝時代がはじまる。そのさきがけは、60年11月、東京宝塚劇場の「敦煌」(井上靖原作、菊田一夫脚本・演出)に萬之助が出演したことだった。



移籍について、『当時はニュースになりましたね。なぜ行ったかは今もって私自身、分かりません。

 もっとも、祖父の七代目幸四郎も帝劇に立てこもって芝居をしていたことがあるので、ご縁はあったんです。


当時の歌舞伎は新作に人気が集まっていた。父の八代目幸四郎は、『時代物をもっと取り入れたいと思っていたようです。



 『東宝へは、親が行けというから行ったわけです。発表の少し前ですが、親父に「あとから行く」と、いわれたような気がします。移籍する前に、東宝重役で作・演出家の菊田先生が「身柄を預かる、胸に飛び込んでこい」というので行ったようなわけです。

いずれ新しくなる帝劇を拠点にしようという目論見だった。当時の帝劇は映画館だった。



東宝での幸四郎劇団の第1回公演は東京宝塚劇場で、『「野薔薇の城砦」というアイヌの話でした。宝塚歌劇に在籍していたか、出たばかりの浜木綿子さんが出演され、兄貴と恋人同士の役。私は最後は木に吊るされて、撃たれて死ぬ役でした。当時、私の役はそんなもんですよ。

もうひとつは「寿二人三番叟」で、『三味線とオーケストラの掛け合いという新しい形式のものでした。兄と二人ですごい派手な格好で「三番叟」を踊りました。歌舞伎の舞踊で使う所作台ではなく、普通のリノリウムの舞台で、岡本太郎さんの美術でした。



オーケストラボックスには文楽と楽団の人がいる。われわれの感覚ですと音楽の方は、舞台上の山台にじっと座っているのですが。楽団の方が出たり入ったりしているのに驚きました。あるとき楽団の方がだれも入ってこなくて、とっさに三味線の方が弾いてくれて事なきをえたことがありました。忘れたんでしょうか。これは前途多難だなと思いました。







・・・東宝時代の吉右衛門さんといえば、芸術座の舞台で「巨人の星」を演っているよね。1969年の夏だから、25歳での星一徹役。この「巨人の星」、演出・長岡輝子、というのもなんかすごいや。