音楽劇「夜のピクニック」(水戸芸術館ACM劇場) 雑感


(書きかけのままになっていたテキストをひとつ、なんとかまとめての蔵出し)


9月22日(木・祝)と、9月25日(日)にも、水戸芸術館ACM劇場で

音楽劇「夜のピクニック

 原作:恩田陸夜のピクニック」(新潮文庫刊)
 演出:深作健太
 脚本:高橋知伽江
 作曲・音楽監督:扇谷研人
 ステージング・歌唱指導:高城信江

を観劇。

9月19日の観劇(→http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20160921/p2)を含めて、一週間で3回の水戸行きだった。


19日と22日は雨だったこともあり、水戸駅から水戸芸術館までの往復は、タクシーに乗ったり、(帰路では)路線バスを利用したり。往きはともかくとして、水戸芸術館 → JR水戸駅なら、バス通りに出てバスに乗るのが便利だとも分かった。

25日は好天で、水戸駅近辺では、水戸まちなかフェスティバルとかいうのをやっていて、バス通りも歩行者天国になるなどしてバスの経路変更や、交通規制もされているとのことだったので、駅から芸術館までは往復とも歩いた。

上野から特急に乗っての水戸芸術館行きにも慣れて来た感じ。

水戸方面への特急は、ひたちだと車内販売があるのに、ときわは車内販売がないのね。今回の水戸行きは、ときわに乗ることが多かったので車内販売がなくて、いささか不便な思いも。


22日(木・祝)、25日(日)とも、13時30分開演。25日は、千穐楽だった。

役替わりとダブルキャストは、両日とも、

『遊佐美和子:大内慶子、 内堀亮子:浅野望、 高見光一郎:橘輝、 芳岡祐一:疋田誉人、 榊順:荻沼栄音』

という配役だった。

荻沼栄音ちゃんが、なんだかすごくかわいかったな。(チャランとポランは、どっちもかわいいのだけど)

今回の舞台は、本役の榊順のときよりも、最初のほうで、アンサンブル(歩く会の生徒役)で出ているときが、けっこう見どころだと思った。


で、どうやら、チラシの公演日程の「月」印の回が、

  遊佐美和子:浅野望、 内堀亮子:大内慶子、 高見光一郎:疋田誉人、 芳岡祐一:橘輝、 榊順:大澤彩夢

チラシの公演日程の「★」印の回が、

  遊佐美和子:大内慶子、 内堀亮子:浅野望、 高見光一郎:橘輝、 芳岡祐一:疋田誉人、 榊順:荻沼栄音

という配役で、子役(榊順役)だけでなく、役替わりのキャストの配役も上記のように組分けされていたみたい。

(大人キャストの)生徒4役に関しては、「月」のほうが私は好み。とくに、女優陣は、美和子役は甲田貴子より背が高いほうがいいと思ったのと、この舞台では「ぶりっ子」キャラにつくられている内堀亮子のハマり具合が、19日に見た「月」配役のほうがピッタリだったから。


この「夜のピクニック」では、劇中ナンバーのうち、「どうして歩くだけなのに」という曲が、繰り返し使われるメインナンバーになっていて、観劇後も耳に残る。

劇中とカーテンコールでうたわれるタイトルナンバー「夜のピクニック」もいい曲だ。私は、どちらかといえば、「夜のピクニック」のほうが好きかな。

キャストが舞台や通路を「歩く」ことが、予想以上に絵になっていて、効果的。これは、じっさいに客席で見たからこそ、実感出来ることだろう。


最初に、この公演の情報が出たとき、榊杏奈役がクレジットトップと知って、ハロプロのアイドルを「上置き」的に主役にするのかな?などと思ったりもしたが、この舞台では、実質的にも榊杏奈が主役になっていた。

原作のストーリーを10年前の過去の出来事にして、その10年前の歩く会を、甲田貴子の母を語り手に、榊杏奈を聞き手にしての回想に仕立ててあるが、単なる回想ではなく、海外へ転校したために参加出来なかったその年の歩く会を、榊杏奈が追体験するかたちにしてあるのだ。その榊杏奈は交通事故で無くなったという設定になっていて、死者として登場しているゆえに、ときには時間軸を超えたファンタジックなシーンも演じられる存在である。

この舞台は、原作の世界に、その10年後という視点を付与して、甲田貴子や西脇融の「いま」と、故人になった榊杏奈の対比を加えたことで、再び戻ることの出来ない過去の時間(高校時代)のかけがえのなさをより強く印象づけるものになっている。


25日は千秋楽だったからだろう、カーテンコールには、もうひとりの榊順役の大澤彩夢さんも白ジャージ姿で登場していた。