少女劇団いとをかし 第一回公演「その日の教室では」(アルテリオ小劇場)


少女劇団いとをかし 第一回公演「その日の教室では」(脚本・演出:近藤キネオ)

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場での公演から、9月6日(土)の2ステージを見た。

新百合ヶ丘アルテリオ小劇場には、今回はじめて出かけた。客席は、12列ある。前の列との間隔も、段差も充分にとってあるので小劇場と称するにしては座席が狭くないし視界も良好なのはよいが、その分、10列目ぐらいの席にいても意外と舞台との距離を感じる。

本編(カーテンコールまで)の上演時間が、2時間弱。

公演パンフレットが、500円(ずい分廉価だな、と思っていたら、少し厚めの紙でカラー二つ折りのもの)。

作・演出はどんなひとかなのかと思えば、私立恵比寿中学のステージ演出をしていて、もともとは映像作家、らしい。


出演は、少女劇団いとをかしのメンバー18人と、他に教師役(真下玲奈)。

私立ルネッタ女学院という、とある学園の文化祭の一日をえがくかたちの群像劇になっていて、全体のストーリーのなかでの役の軽重はあるにしても、メンバーの女の子それぞれに、それなりのしどころや、見せ場があるようにつくられている。ストーリー性にこだわれば、無駄と思えるシーンがあったり、必要なさそうな登場人物も出て来るのだが、18人の女の子をそれなりに見せる、という制約があるからだろう。

私のように、出演者について、まったくといっていいくらいに予備知識がなくても、女の子が18人登場すれば、そのうちの何人かはいいな、かわいいなと思ってしまう訳で、そうなれば舞台はおもしろくなって来る。ただし、予備知識がないだけに、この舞台で演じた役柄や、パフォーマンスの質によって、メンバー個々に対する印象にはかなり差がつく。

登場人物は、およそ、3つのグループからなる。

文化祭実行委員でもある生徒会のメンバー(矢野優花小田桐汐里小池梨緒、中村ひなの、渡邊璃音)。演劇部の部員たち(長城祝華、高橋咲樹、白川怜奈、青山愛依永坂真心、芽奈)。模擬店で駄菓子屋をやっているクラスの子たち(坂井仁香、鮫島彩華、櫻愛里紗、辻野かなみ、石黒詩苑)。
これに、交換留学生(美咲アリス)と、姉に会いたくて文化祭に来たという迷子の小学生(本庄風月)がからむ。

舞台は、いくつものエピソードが織り交ぜられ、場割はパッチワーク的で、場面転換も多い。途中に「うた」が入るが、校内放送で曲を流しているという前提が、いちおうはある。登場人物によってうたわれる既成の楽曲は、その心情と上手く重なっている曲もあれば、何だかよく分からなかったものもあるが、これらのうたにも、キャストの女の子の見せ場のひとつという意味合いがあるのだろう。


ストーリーとしては、大きな筋書きが、ふたつある。

ひとつは、文化祭当日の朝になって、いきなり公演の中止をいい渡された演劇部の話で、中止の理由は、生徒が自殺する結末がよろしくないとのこと。この女子校では、かつて、文化祭の日に生徒会長が屋上から飛び降り自殺したことがあったからなのだが、学校はこの件を表向きは事故として処理したため、現在の生徒たちにはそのことはほとんど知られていなかった。自殺した生徒というのは、じつはいまの生徒会長の叔母であり、自らの悩みを叔母のそれと重ねていた生徒会長は、文化祭当日のこの日、自身も同じように命を絶つ決意を秘めていた。と、これがもうひとつの主筋。

なので、ストーリー上の実質的な主役といえるのは、演劇部長(長城祝華)と生徒会長(矢野優花)のふたりで、このふたりはどちらも好演して、この舞台をおもしろくしていた。とくに、演劇部長役の子は、役者としての存在感もあって目を惹いたし、舞台の上で演じる姿は魅力的に見えた。

この主役ふたりを「表」とすれば、それぞれの「裏」に当たる登場人物がいて、ひとりは、生徒会長が屋上に立って、かつての自殺事件のことや学校批判を訴えているときに、弁論大会で淡々とパレスチナ問題を語りつづける生徒(小田桐汐里)。舞台では、この両者のシーンを同時進行で見せるが、弁論大会で語られる内容は言葉の多さに比して中身はあまりにも空疎で、同じ「いのち」の問題を語っていながら、屋上の生徒会長の切実さとは対照になっている。
演劇部では、公演中止の混乱のなか、不登校を続けていた部員(永坂真心)が2か月ぶりに姿を見せる。彼女は、この機に乗じて、演劇部を自分主導で動かそうとするが、結局、失敗する。この演劇部員は、小さな世界で小さなクーデターをたくらむ役なので、「その日の教室では」のなかでは、かなり演じ甲斐のある役どころといえる。演じていた子はけっこう癖のあるタイプで、たとえば、あの歩き方は、意図的なものなのか、それともああなってしまうのか?


迷子の小学生(本庄風月)が生徒会長の妹だというのは、ある程度の時点で読めてしまうけれど、離れて暮らしていた妹との再会が、自殺騒動を起こしながら死ねなかった姉にとっての救いになるという結末は、収まりがいい。

このステージでは、演劇部員たちのキャラクターが上手く書き分けられているので、生徒会長と妹のエピソードを挿みながら、文化祭の日の演劇部の話として80分ぐらいの芝居にふくらませて仕立て直すとしたら、けっこうおもしろいものが出来そうな気がした。


駄菓子屋クラスが劇中で売っていた駄菓子「うまいゾウ」のなかみは、「うまい棒」というお菓子。
これ。→http://www.yaokin.com/

その「うまい棒」の上に、「うまいゾウ」のパッケージを施したもの。ホームページの法人向けサービスにもある『キャンペーンやイベントなどへの、ノベルティ・コラボレーション商品の企画、開発、製造を承ります。』というので、作ってくれるものなのでしょう。
http://www.yaokin.co.jp/

演劇部のジャージコンビ(高橋咲樹 白川怜奈)の漫才の、テストのとき、消しゴムを落としても自分で拾っちゃいけなくて、先生にいって拾ってもらうシリーズで、三國連太郎の誕生日は?って、そんな試験問題があるのかい(笑)。

岡本真夜の「Tomorrow」をうたった子(石黒詩苑)が、かわいかったかも。

人狼」って、知らなかった。あんなふうにやるんだ。

生徒会の放送室コンビ(中村ひなの 渡邊璃音)は、とらえどころのなさに可笑し味があったが、出入りやセットはもうひと工夫欲しいところ。

演劇部長にあこがれて押しかけて来る後輩女子(芽奈)が、役柄としていいアクセントになっていた。私は、ああいう役がけっこう好み。


それにしても・・・・表紙(公式サイトや公演パンフレット)の集合写真が17人になっているのは、読み解くべき意味があるのだろうか?それとも、深い意味はないのだろうか。どうも気になった。