桜田門外ノ変


公開初日の土曜日(10/16)に、

映画「桜田門外ノ変」(佐藤純彌 監督)

を見た(某映画館で1000円デーをやっていたこともあって)。なお、私は、吉村昭の原作小説は、読んでいない。


桜田門外の変」を、水戸側からえがいた映画。襲撃の数日前からはじまり、桜田門外での大老暗殺、襲撃関係者たちのその後、幕府だけでなく水戸藩からも追われる立場となった首謀者たちの逃亡の日々がストーリーの中心になる。適宜、過去にさかのぼるかたちで、桜田門外の変に到る時代状況や、井伊直弼ら幕閣と水戸斉昭をはじめとする尊攘派の確執も挿入される。

(3月3日当日に)現場の指揮を執った関鉄之介(大沢たかお)が主人公で、大老襲撃のあと、逃亡、潜伏を続けた彼がついに捕縛され、桜田門外での事件から2年余りの後、斬首となるところで映画は終わる。

つまり、関鉄之介の逃亡劇ともいえる内容だから、映画の割りと早い段階で桜田門外の変に到る。桜田門外での襲撃という一般的なクライマックスよりも、その後の水戸浪士たちの逃走劇を扱っているところがこの映画の面白さだろう。桜田門外での事件以上に、その後の、追いつめられて行く脱藩浪士たちの死に様が、壮絶だ。

佐藤純彌監督は、何かのインタビュー記事で、「水戸の映画」にはしたくないというようなスタンスを語っていたが、(伊武雅刀演じる)井伊直弼は完全な悪役になっているし、その前に幕政の責任者だった阿部正弘は美男として知られた人物なのにまるで反対のキャスティングがされているなど、はっきりと水戸寄りの映画になっている。


肝心の、桜田門外の変のえがき方が、どうにもおかしいのは、大いに不満。細部はともかく、以下の点については、どうしても納得出来ない。

この映画では、大老の登城行列が彦根藩邸の赤門を出て、門が閉まるとまもなく、登城行列の見物をよそおっていた水戸脱藩浪士たちによる襲撃がはじまっている。つまり、彦根藩上屋敷門から襲撃現場までの距離がとても短いのである。

彦根藩上屋敷から外桜田門へは、500メートルぐらいだといわれる。襲撃は外桜田門へと曲がる手前で行なわれたとされるが、それでも、彦根藩上屋敷から襲撃現場までは、400メートル前後あったのではないか。なのに、この映画を見ていると、行列は彦根藩邸を出るとすぐに襲われており、襲撃場所までの距離の短さが、あまりにも不自然だ。

あんなに間近で乱闘が起きれば、藩邸ですぐ異変に気づきそうだし、行列のだれかが注進に屋敷へ戻れば、藩士たちが押し出せたのでは?水戸浪士たちの襲撃は、3〜4分で決着したというが、もし、この映画のように井伊藩邸の近くで事が起きていたのなら、首までは持ち去られずに済んだのではないかと思ってしまう。

映画の関連サイトを拾い読みすると、桜田門外の変のシーンを撮影した水戸市内のオープンセットは、安芸広島藩や豊後杵築藩など大名屋敷が100メートル以上続くとあるが、要するに、登城の道のりをじっさいよりも短縮して、100メートル程度で再現していることになる。

映画関連のニュースをさかのぼってみたら、たとえば、シネマトゥデイ(2010年2月9日付)に、
http://www.cinematoday.jp/page/N0022346
このオープンセットでの撮影について
高さ9メートルというほぼ実物大に再現された彦根藩邸の門が開き、50人の隊列が60メートルの距離を進んできたところに、水戸藩士役の俳優たちが襲い掛かって行く。背後にはこちらも15メートルという高さのほぼ実物大の桜田門が威容を誇っており、

とある。つまり、この記事によると、彦根藩の赤門と桜田門はほぼ実物大に再現されているが、井伊大老の行列が進む道はかなり短くて、彦根藩上屋敷からたった60メートル進んだところで、水戸浪士たちの襲撃を受けるのだ。

ということで、この映画の桜田門外の変は、どう見ても変。「桜田門外ノ変」というタイトルなのに、肝心なところに偽りありなのが、残念。