時代の証言者 中村吉右衛門 11



読売新聞朝刊に連載の「時代の証言者」

歌舞伎俳優 中村吉右衛門の第「11」回(5月24日付)は、『三枚目役ヒットに悩み入院』



今回は、東宝時代のエピソードと、東宝をやめるまで。



いろいろな方とお芝居は出来たが、歌舞伎の舞台にはなかなか立てない。「木の芽会」はつづけていて興行にまでなったが、出来上がった新しい帝国劇場は花道など歌舞伎には向かない劇場だった。帝劇で襲名はしたが、歌舞伎は思うように出来なかった。

 『今思えば、歌舞伎役者を松竹から借りる場合など、経済的にも大変だったと思います。東宝としては重荷だったのではないですか。実際、大入り満員になるかというと、そうでもなかったようです。



襲名より前の1964年9月、明治座山本周五郎原作の「さぶ」に出演。主演の兄・染五郎(当時)が栄二で、さぶを演じた。これがヒットした。が、さぶは三枚目でコメディアンがやってもいいような役。中村吉右衛門という名前のイメージとちがい過ぎた。

そこで悩みましてね。吐血して入院しちゃうんです。このままではいけないんではないかと。



しばらくして、

あるとき、菊田一夫先生から、虫の居所が悪かったのか、「君は歌舞伎だけやればいいのじゃないか」と言われたんですよ。

「飛び込んで来い」といったひとがこういうのではだめだと、『松竹に戻れるかどうかわかりませんでしたが、後日、直接先生に「松竹に戻ります。歌舞伎一筋でいきます」と申し上げたんです。



ミュージカルが盛んになり、「マイ・フェア・レディ」のオーディションを受けて落ちたこともあった。『兄貴の方はミュージカルで大変な人気者になっているけれど、私の方は芽も何も出ない。

東宝との契約をやめ、フリーになった。

 『事実、母親は「松竹に残して、成駒屋(中村歌右衛門)のところへ預けようかと思っていた」と言う。







・・・「さぶ」は、その後、同じ染五郎吉右衛門で、68年9〜10月に芸術座でも上演されている(菊田一夫脚本、菊田一夫・中村哮夫演出)。