時代の証言者 中村吉右衛門 14
読売新聞朝刊に連載の「時代の証言者」
歌舞伎俳優 中村吉右衛門の第「14」回(5月29日付)は、『芸を伝えてくれた大看板』
今回は、吉右衛門に役を教えてくれた4人の大看板の思い出。
(二代目)尾上松緑。
『意外ときちょうめんな方で、芝居を教わるたびに書き抜き(本人のせりふだけ書いてある台本)を貸してくださったが、それに事細かく書き込みをしている。どこでどうやるか、何歩進むかまで書いている。
父方の藤間の家はきちょうめんだったのかもしれません。』
実父(八代目幸四郎)は、自分から話すひとではなかった。聞けば教えてくれるが、芸は『自分でつかむものだというわけでしょうね。』
尾上梅幸。
『おじさんの判官はこれ以上ないというほど素晴らしいものですが、』その「忠臣蔵」の判官を教わった。
『養子で歌舞伎の家に来られて苦労されたそうですが、それをみじんも感じさせない、品のある方でしたね。』
「鏡獅子」は格調があった。
中村歌右衛門。
『東宝へ行く前はずっとご一緒させていただきました。役者でなければ総理大臣もおできになるような方で、その頭のよさ、気配り。とてもまねはできません。
よく覚えているのは、しかられたことですね。』
吉右衛門襲名での「関の扉」の宗貞。
『毎日、「ありがとうございました」と楽屋にあいさつに行くのですが、「ここがだめ」と踊って見せてくださる。墨染の役を演じたばかりで、汗だくになっていらっしゃる。その中ではあはあ言いながら教えてくれるのです。
公演が終わってお宅にお礼に伺うと、「よく勉強なさいました」と言ってくれました。』
中村勘三郎(初代吉右衛門の弟)。
『今の息吹を客席に伝えたいと、新しいものを取り入れる方でしたよ。だけど、私の目から見て、あんなに江戸時代を感じさせる人はいなかった。ほんとに役者という言葉が合う。』
1985(昭和60)年、十二代目市川團十郎襲名披露興行は歌舞伎座で3か月行なわれ、切符の入手困難な大盛況だった。若手の台頭を、大看板たちによる芸の伝承が支えていた。
・・・ということで、吉右衛門さんのお話も、80年代半ばまで来て、次回は、こんぴら歌舞伎大芝居のこと。