夢見るアニー



むかしむかし、水野きみこのファンクラブに入っていた。

デパートとかでのキャンペーンにも、よく行った。



当時はサイン会だから、シングルレコードを一枚買うと、その場で色紙にサインを書いてくれた。目の前で見ると、けっこうお化粧してるんだ…とか思ったりした(笑)。いまはもうないけれど、当時のアイドルには必ず親衛隊というのがついていて、キャンペーンに行くと、決まって親衛隊に入らないか、と誘われるのがちょっと面倒だった(まだまだうぶな少年だったし(笑))。



1982年の暮れに、アイリーン・クイン主演の映画「アニー」が日本で公開されることになって、その映画のイメージソングとして、水野きみこがうたってシングルリリースされたのが「夢見るアニー」という曲。当時は、「アニー」なんて知らないし、こんな本人と何の関係もない映画のイメージソングをうたわされるなんて、もうダメだ、と思った。



渡辺プロの女性アイドルが売れなくなっていた頃で、アイドルの当たり年といわれた82年デビューのなかでは遅いデビューで、もともとマイナーなのに、セカンドシングルが「夢見るアニー」だもの。これは、むかしの和的感覚でいうと、たとえば、「素敵な寅さん」とか「大好き座頭市」をうたうみたいなものだから。映画がヒットしても、それでレコードが売れるって訳じゃないのは見え身江(「アニー」の吹き替えは、片岡みえ。うたは、男の子)。



でも、水野きみこっていえば、「夢見るアニー」だよね。デビュー曲の「私のモナミ」はまだしも、その後のシングル曲となると、どんなうただったか、思い出せないもの。

「夢見るアニー」は、バックで子どもたちが踊っていたのだけれど、あの子どもたちは、どこから連れて来ていたのだろう。いつも同じ子たちががついていたように思う。スクールメイツみたいに、渡辺プロの音楽学院から選ばれた子たちだったのかな?



何でもらったのか忘れたが、映画「アニー」の招待券が手に入って、82年の12月に映画館へ見に行ったのが、私の「アニー」初体験。そのとき、文庫本も買った。(舞台の「アニー」をはじめて見たのは、1991年のこと)



当時は、渡辺プロのタレントのファンクラブに入ると、「ヤング」という、ファンクラブの月刊誌が送られて来た(バックナンバーが欲しければ、渋谷の西武に行くと直営ショップがあって、そこで買えた)。アイドルは不振でも天下の渡辺プロだから、水野きみこぐらいの新人タレントは少ししか載っていなかったりも。他に、会報が年に何回か来たけれど、なんか、面白味のないファンクラブだなぁと思った。



でも、よかったこともあって、水野きみこファーストコンサートがあったとき、ファンクラブに申し込んだら2列目の真ん中の席が来て、とても見やすかったこと。バンド演奏の音で耳がボワボワしちゃって、それと、紙テープがすごくって、紙テープに埋もれそうだった。

あのコンサート、会場はどこだったのかな??千駄ヶ谷信濃町の駅から歩いて行った、小振りなホールだったと思うのだけれど。