新春浅草歌舞伎 第1部、第2部



7日(金)に、浅草公会堂で、新春浅草歌舞伎の第1部、第2部をつづけて観劇。



同演目の、ちがう配役による見較べが出来ておもしろかった(が、…疲れた)。

第1部の終演がこの日は 2時37分頃で、3時開演の第2部との(お客さんの)入れ替えが、大変な状況。





第1部は、11時の開演時刻より2、3分早く亀治郎丈の「年始ご挨拶」がはじまり、たっぷり10分しゃべっていた(タイムテーブルでは、5分の予定)。

かくも賑々しくご来場をたまわり、といったおなじみの文句ではじまり、松竹は110周年で大阪と合わせて今月は4か所で歌舞伎公演を行なっている云々、そして演目の紹介では、飛脚問屋の仕事を郵パックや書留で例えてみたり。最後は、ずいぃーと、こいねがいあーげたてまつりまする。

とりたてて、大したことは いっていないのに、話がちゃんと芸になっていた。



第2部は、(入れ替えの混雑もあってか)5分押しで七之助丈の年始ご挨拶。演目の紹介では、鏡獅子ではいとこのふたりが胡蝶を等々。最後は、たしか、お願い申し上げる次第にござりまする、だったかな。

時間が押していたせいか、七之助丈の挨拶は 3分ほどで短く終わった。



この各部冒頭の「お年玉 年始ご挨拶」は、7人の俳優が交替でつとめているが、このうち4人のあいさつを見たリピーターのお客さんには、ポスターをくれるって(該当4回分のチケットの半券が必要)。

あいさつの顔ぶれが昼・夜ではっきり分かれているのはどうしてかと思いきや、「御所五郎蔵」に出るひとは、その直前のあいさつには出られぬが道理だ。





さて、以下、見較べの雑感を簡単に(敬称は省きます)・・・



「御所五郎蔵 仲之町出逢いの場」

1部(七之助の五郎蔵、男女蔵の土右衛門)が、すっきりと絵になる五郎蔵に、柄のいい土右衛門で、新鮮。ただ、ときどき息が抜けるようなセリフの土右衛門が、やや固い印象。2部のふたり(獅童の五郎蔵、愛之助の土右衛門)に華がある、というか芸質が明るい。獅童の男伊達は姿がいいが、出だしの声がかすれて、どことなく力がなかった。



「春興鏡獅子」

1部(亀治郎の弥生、獅子の精)に見どころ多し。前シテの弥生と、後シテの獅子との対照が効いている。出を促す囃し方の演奏からいよいよ獅子の精の登場へと到るあたりは、客席にも張り詰めた緊張感と期待が充ちて、心地いい。



1部の胡蝶の精のふたり(永田晃子・石山眞帆)は、絶品。芸術的なすばらしさ。

まさに、眼福! 踊りがぴったり合っている上、後見に羯鼓をはずして貰い鈴太鼓を受け取る、その受け渡しの無駄のなさ行儀のよさは、見事なほど。二畳台に乗っての登場から緞帳が下りるまで隙がない。



「封印切」

1部は鴈治郎型(亀治郎の忠兵衛、愛之助の八右衛門、七之助の梅川)で、2部は仁左衛門型(愛之助の忠兵衛、男女蔵の八右衛門、亀治郎の梅川)での上演。

そのちがいを楽しんだ。



お芝居としては2部のほうに変化があって面白いと思ったが、人物像が際立つのは1部、といった観。セットや演出面のちがいよりも、登場人物の異同 たとえば、仁左衛門型に登場する遣り手やお女郎 など が印象に残った。

1部の鴈治郎型は、忠兵衛を見せることのウエートが大きいようだ。あの、手をぶるぶる震わせたり、鼻にかかった発声はどうも苦手だが。3日の観劇(第1部のみ)では、当代鴈治郎のものまねに見えた亀治郎の忠兵衛だが、この日は、すでにそんな感じは払拭されていた。



どちらかといえば、愛之助は悪役の八右衛門に面白さ。1部の梅川(七之助)には、幸せになれそうもないオーラのようなものがそこはかとなくあって、先行きを想像させる。

1部、2部ともに井筒屋のおかみを演じている門之助が、落ち着きとおかしみを見せて味わい深く、芝居の要か。





第2部の座席が3階だったが、目の前の手すりが邪魔で、背筋を伸ばして座らないと舞台が見えぬ仕儀(ま、こういうことは、自分で経験してみないと分からない訳だし、何より値段が、2100円では仕方ないか)。

なお、1階席でも、花道の外(左)側だと、所作板を敷いたとき見づらくなる座席はあるらしい。