かたりの椅子(世田谷パブリックシアター)


4月18日(日)に、世田谷パブリックシアターで、

二兎社公演「かたりの椅子」(作・演出:永井愛)

を見た。

午後2時開演。ロビー表示の上演時間は、2時間40分。途中休憩 15分を含む。

この日が千秋楽だったが、カーテンコールに永井愛氏も登場した以外は、これといったことはなかった。


新国立劇場の演劇部門芸術監督のポストをめぐって、運営財団理事長による後任人事とそれに反発した演劇人たちが異議を唱えた先般以来の経緯をもとに、当時、理事として渦中にあった作者が、問題の本質を喜劇調の分かりやすい芝居に仕立てている。

新国立劇場での人事問題がそのまま芝居として扱われる訳ではなく、舞台は可多里市という架空の自治体に設定されている。そこで、市民参加のアートイベントが企画される。実行委員会のメンバーたちと、市の文化財団理事長や市役所の職員らが、イベント内容についての駆け引きや主導権争いを繰り広げ、プロデューサーとして雇われた女性主人公が、翻弄される。

天下りの財団理事長のプライドの高さや、気に入らない企画を潰すために、別の人間の意向として事を曖昧に運ばせようとする捩れた権力行使の仕方、実行委員のひとりずつを懐柔して行く姑息な手口など、なるほど、こうやって、水面下で大勢が決して行き、会議の場はセレモニーになってしまい、ひとりふたりがなお反対の声を上げたところで、もはや手遅れという事態になるのだな、と。

地域イベントという設定が、いかにもありそうな現実感をともなって、問題を一般化させていて、考えさせられる。身近でも起きていそうな役人のやり口は、面白くえがかれるが、笑ってはいられない気分になる。

メールの誤送信から追い詰められた中間管理職の小役人が、実行委員長のアトリエに放火して重傷を負うが、その事件を逆手にとって美談に仕立てることで、一気に理事長側が攻勢に出るあたりは、なかなか不気味。不正追求の途中で自殺者が出たのを機に、捜査や批判が収束に転じる現実をも連想させる。

コミュニケーションに問題があると指摘される実行委員長の前衛芸術家は、いきなりメールで企画書を送り付けたのがまずかったとされる。まず、饅頭でも持ってお伺いを立てればよかったのだそうだから、つまりは新国立劇場の芸術監督氏も新理事長の就任が決まったときに、菓子折りでも持って挨拶に行っていれば、2期目もあり得たのか?とか、ついつい勘繰りたくもなる。役人のいうコミュニケーションというのは、企画を出す前に、今度こういうことをやりたいのでご協力をと、あらかじめ話を通しておくとか、会議にはかる前に、こういう議案を出しますからよろしくと挨拶しておくとか、そういう根回しのことを指しているのかな。だとしたら、役人と話が出来る演出家だとされた前芸術監督氏は、そうしたことを苦にしないひとなのか?


気になったのは、この「かたりの椅子」という官僚主義・役人批判の芝居が、今回、もっぱら公共ホール、公的劇場で上演されていたこと。なかでも、せたがや文化財団からは後援も受けていて、それこそ、芝居のなかの設定と同じ種類の財団のお世話になりつつ上演していたことになる。また、二兎社のサイトを見ると、芸術文化振興基金助成金ももらうらしい。それって、申請して、官僚にお金を分配してもらうのでは?

なんだか、おかしくないか。批判しながら、お金はいただこうなんて、潔くないと思う。芝居に登場するような役人がいなければいいということではあるまい。官僚や役人のあり方を批判するなら、いったん、それらと距離を置いて、つまり自分のお金で(あるいはスポンサーを見つけて)上演してこそ、筋が通るというものだ。

そのあたりに疑問を感じはじめると、どうにもすっきりしない。