グレイ・ガーデンズ 11/18夜


11月18日(水)に、シアタークリエで、

グレイ・ガーデンズ

を観劇。初日(11/7)、2日目(11/8)に続いて、3度目になる。

11月18日は、昼・夜あって、見たのは夜の部で、午後6時30分開演。


初日と翌日の公演は、休憩が30分あったが、その後、休憩は25分に短縮されていて、上演時間は、

一幕 1時間、休憩 25分、二幕 1時間

となっている。

18日夜は、タイムテーブルどおりに終わった。


11月18日夜の子役は、

ジャクリーン・ブーヴィエ: 大久保胡桃
リー・ブーヴィエ: 藤崎花音


子役を含めた配役等は、↓に。
http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20091108


グレイ・ガーデンズ」は、チケットが発売されてすぐは、あまり売れていなくて、人気がないのかなぁ…と思っていたのだが、開幕後に売れて、もうほとんど残席はなくなってしまった。その影響で、私の観劇も、当初の思惑と異なり、4回止まりと少な目に終わりそうな雲行きだ。

この日は、購入済みのチケットを窓口に引き取りに行くと、キャンセル待ちの列が出来ていた。たしかに面白い舞台なのだが、キャンセル待ちにひとが並ぶほどとなると、いささかの驚きは禁じ得ない。客席は、ミュージカルのというよりも、かつての芸術座の客層に近い感じもあって、大人の(つまり年配の)観客が多くを占めている。


生演奏だが、ミュージシャンは見えない。カーテンコールで出演者たちが上手ソデへ向けて拍手をするので、上手側の上方(?)で演奏しているようだ。
上手ソデで演奏している、とのコメントをいただきました。ありがとうございます。

第二幕のゴミ猫屋敷で登場する猫たちは映像で、白い猫。この舞台で使われる猫の映像は、一匹の白猫を撮影したものを数匹に見せているとのことで、二幕の最後は、下りた幕に、この映像の白猫が登場して終わる。

第二幕では、客席通路(上手側の前方)が使用されるシーンがある。


このミュージカルのもとになった実話は、1970年代、ケネディ大統領夫人の「おば」と「いとこ」にあたる母娘が、ゴミ猫屋敷と化した、荒れ果てた邸宅に籠って暮らしていて、近隣からの苦情等で行政の立ち入りが行なわれるなどしてニュースにもなり、その後、母娘が取材を受け容れ、ドキュメンタリー映画として公開されたことから、アメリカでは、エキセントリックな暮らしをする上流階級一族のはみ出し者的存在として、とても有名だったらしい。

二幕で、ドキュメンタリーさながらのイーディス母娘が登場すると、アメリカではどっとウケるのだそうだが、日本では、そもそも「グレイ・ガーデンズ」のことはほとんど知られていないから、自ずと作品の見方、受けとめ方は異なる訳だ。


私には、このミュージカルが、とても今日的な問題を孕んでいる、滑稽だが切実な作品に感じられ、そこに、日本の観客を惹き付ける要素があると思った。

第二幕に限っても、ゴミ屋敷や猫屋敷に類する出来事は、今日の日本では各地で頻発してあとを絶たない社会問題だし、たとえばゴミ屋敷問題は、決してごく一部のおかしな人物が引き起こすだけではなく、まっとうに働いているひとでも部屋に溜め込んだゴミが片付けられずに、ゴミ屋敷に近い状況に陥ったり、分別を放棄してゴミを出せなくなり、ゴミがどんどん溜まって行き収拾がつかなくなるなど、何かのきっかけで生活や日常のバランスを崩すと、自分にも起こり得るのだと思わずにはいられない。

ミュージカルで描かれる、78歳のイーディスと、56歳のリトル・イディのグレイ・ガーデンズでの暮らしは、老々介護の一歩手前といっていいものである。母娘ふたりの年齢差に鑑みれば、まさに、明日は我が身かも知れないと思わされる。

娘を束縛しながも頼っている母と、出て行こうとしつつも結局は母親を捨てられずにグレイ・ガーデンズに留まり続ける娘。いまの日本のそこかしこにありそうな、奇麗ごとでは済まない、切っても切れないリアルな母と娘の関係として見えて来る。

アメリカの有名一族のスキャンダル的な側面よりも、今日に通じる普遍的な母と娘の関係性を浮き彫りにした、日本版演出は、奏功している。

また、イーディスとリトル・イディの母娘が揃って、芸能の世界への強い憧れと挫折を抱えている、というのが面白い。


第二幕で、旗を持って「自由のマーチ」をうたい踊るリトル・イディ(大竹しのぶ)が、傑作。

ジェリー(川久保拓司)は、とうもろこしをほとんど食べてしまうが、歯に挟まらないのだろうか?


グレイ・ガーデンズ邸」のセットの床部は、いわゆる八百屋になっているし、一幕、二幕で時代が変わり、二役もあり、映像も効果的に使われるなど、夏に見た、同じ演出家のミュージカル「サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ」を思い出させる。