童謡は心のふるさと


先日、「海沼實の生涯」という本の読後感を書いたところ、
 (→http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20090409/p1)
そのログにコメントをいただき、「童謡は心のふるさと」を薦められたので、読んでみました。

この川田正子「童謡は心のふるさと」を、「海沼實の生涯」と合わせて読むと、それぞれの著者の思いや立場のちがいがはっきりして、読者なりの理解がしやすくなるとともに、それぞれの著書の隙間といえる部分が少なからず補われて、興味深いものがありました。


川田正子「童謡は心のふるさと」(東京新聞出版局、1500円税別)

は、著者による自伝で、2001年10月初版。もちろん、生前の著書である。

私が買った本は、2刷と奥付にあるので、増刷されている。2001年の東京新聞(夕刊)紙上での連載を、本としてまとめたもので、同年は、川田正子歌手生活60周年だったとある。

生い立ちから、人気絶頂の少女歌手時代、音大への進学、指導者にもなり、その後の結婚と子育て、森の木児童合唱団設立から執筆当時の活動までが書かれているが、その道のりの曲折が、いわば読みどころといえる。ともに少女歌手として活躍したふたつ下の妹・孝子との性格のちがいなども、おもしろい。

少女歌手からの引退の裏には、発声の指導を受けずに素質に頼った地声でうたい続けたことで変声期に対応出来ず、高い声が出なくなったことがある。その自身の辛い経験から、子どもが苦しまずに大人の声へ移行出来る発声法を考え、指導するようになったという。

日本での児童合唱ブームは、1955年のウィーン少年合唱団来日公演がきっかけで、そのハーモニーに触発されて、多くの児童合唱団が生まれ、合唱指導も盛んになる。それ以前の日本では子どもの音楽に合唱は根づいておらず、子どもたちは斉唱かソロでうたうのがほとんどだったとの記述には、おどろいた。児童合唱団ブームの頃の音羽ゆりかご会は、そのブームに乗らず、斉唱のスタイルを守っていたというあたりも、意外だった。

実父には好意的な視点を向けていて、妹の孝子は家を出た実父と交流を持っていたことが書かれている。反面、実母に対しては、控え目な表現ながらも、複雑な気持ちがあったことも吐露している。末妹の美智子が海沼實の実子だと知ったのは海沼實が亡くなった後だとある。美智子が著作権を全て継承し、結婚して海沼の姓を継ぐ。美智子が音羽ゆりかご会の後継者にもなるが、これは正子の意思とは別に母・須摩子がすでに決めていたことだったという。


「海沼實の生涯」の著者は、少女歌手・川田正子の引退を変声期で発声が困難になっていたとあっさり書き、児童合唱団ブームについても西欧風な発声で童謡らしくないうたい方を教えたものと否定的なのに対して、この「童謡は心のふるさと」を読むと、川田正子が、かつて自身の声が出なくなったことの原因を問い、それを克服する発声を試行錯誤しながら追い求めて来たことが分かる。

また、両書を較べたとき、「海沼實の生涯」の著者が、川田正子に批判的なのは、音羽ゆりかご会のほかに須摩子の介護問題も影響しているのではないかと思える。「童謡は心のふるさと」が参考文献として挙げられていないことにも、両者の距離を感じるとともに、気になった。


さて、最後に話を戻して・・・「童謡は心のふるさと」に収載されている写真、少女歌手時代の川田正子さんがかわいいく、当時の人気が察せられる(浜離宮での2枚や皇居前の写真など、とくに)。