フェスティバル/トーキョー F/T09春「転校生」


3月26日(木)に、東京芸術劇場 中ホールで、

「転校生」
(平田オリザ 作、飴屋法水 演出)

を見た。

東京文化発信プロジェクトの一環として開催する、フェスティバル/トーキョー09春 と銘打たれた舞台芸術の祭典での上演である。

静岡県舞台芸術センター(SPAC)が、県内の女子高校生をオーディションで選び、2007年に上演した、そのときと同じ高校生たち(既卒者含む)の出演による再演、ということになるようだ。

過去ログ(http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20090105/p1)にも書いたように、今回は、3月20日(金)〜21日(土)に静岡芸術劇場で上演され、その後、このフェスティバル/トーキョーで、3月26日(木)〜29日(日)に4ステージの上演があり、26日は、その1日目。


午後7時開演。上演時間、1時間50分。途中休憩なし。(じっさいは、予定より2、3分早く終演)


入場の際に、「転校生」のキャスト、スタッフが書かれた紙、フェスティバル/トーキョーのパンフレット、折り込みチラシなどが配布される。

客席は、1階のみ。2階には観客は入れていなかった(が、他日については、不明。→他日も然り)。2階席には、屋上のシーンで、出演者が登場する。


ソデ幕もホリゾントもない、むき出しの舞台(ソデや天井がまる見え)に、7段ある階段状のセットが置かれ、そこに、4×5列で20の椅子を並べて、教室にしている。客席通路は、いわば廊下であり、生徒たちの出入りで頻繁に使用され、通路での演技(セリフ)も多い。照明のバトンを動かしたり、セット後方にスクリーンを下ろして映像を使うなどあり。開演前から、場内には「時報」が鳴っていて、劇中の特定シーンでも時報が効果音的に使われたり、終演後も「時報」が時を刻む。


生徒たちは、バラバラの制服姿で、これは、各自が通っている(通っていた)学校の制服、あるいは通学スタイルをそのまま衣裳に採用したものだろうか。


1994年の青山円形劇場とは演出者も、劇場条件も異なっているのだが、それにしても、ずい分ちがうというのが、第一印象。にもかからず、生徒たちがしゃべるセリフのなかみは、94年公演から、思ったほど変えられていないことに、おどろいた(94年公演時に購入した台本をざっと見返してみた)。

生徒の人数は、2人減って、18人+転校生。94年はそれぞれに役名が付けられていたが、今回の舞台では出演者の名前で演じられているようである。


生徒が舞台を疾走するオープニングや、18人が並んで「せーの」の掛け声でジャンプするエンディング、生徒たちの立ち居や演技、映像、音響、セットも含めて、舞台全体にアグレッシブな要素が見て取れる。演出が異なるとはいえ、94年の舞台やキャストからは、かくも攻撃的な感じは受けなかったと思う。加えて、94年公演や台本にもなかった胎児の映像や、自殺のシーンなどによって、劇中の会話以上に、いのちや、生と死の問題がテーマとして強調されている。

青山円形劇場の舞台では、女子高生を起用した現代口語演劇という「かたち」がクローズアップされがちだったのが、今回の演出では、劇中のセリフのなかにあるテーマをくっきりと抽出して、それを舞台全体に浸透させることで、ドラマ性を生み出している。


よく出来た舞台で、リピートして見ると、いろんな発見、思考へとつなげられそうだ。


ところで、94年公演とちがうといえば、「転校生」が大ちがい。今回の、あの「転校生」って、あり?…お客はみんな(いや、みんなではないにしても)、女子高生を見に来ただろうに、あれはどうだろうね。あの「転校生」の登場こそが、観客にとっての不条理そのものだ、というのが、まさか演出のねらいなのか?(笑)。


生徒のひとりが持っていた「ねこにゃんぼぅ」が気になった。

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[追記]
3月27日の観劇は、→http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20090330/p4
3月29日の観劇は、→http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20090401/p2