さらば、わが愛 覇王別姫(シアターコクーン) を観劇。


3月14日(金)に、シアターコクーンで、さらば、わが愛 覇王別姫を観劇。

過去ログのこの(http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20080208/p1)公演である。


「放浪記」を見てシアタークリエを出ると雨が降り出していて、有楽町の地下街で食事をしているうちに雨脚も増したようだ。渋谷に着くと、もはや傘なしでは歩けなくなっていた。

オーチャードホールでは「ヤン・リーピンのシャングリラ」とかいう公演が初日だというので、そちらへ行くひとも多い様子だったが、私は全く関心がなく何のことだか分からず。


14日の「さらば、わが愛 覇王別姫」は、午後7時開演。上演時間は約2時間で、休憩なし。これにカーテンコールが数分。夜の部なので、子役はカーテンコールには出なかった。

公演プログラム、2000円。袋付き。
子役は8人ずつ2組に別れてのダブルキャストで、各組に1ページを充て、見開きで紹介されている。写真は、組ごとの集合写真だが、ひとりずつ簡単なアンケートの回答と芸歴が載っている。


子役の組分けと配役は以下のようである。


科班時代の程蝶衣、京劇学校の生徒、『思凡の踊り』・・薄衣倫平
科班時代の段小樓、京劇学校の生徒・・・・・・・・・・・舟久保依吹
科班時代の少年、京劇学校の生徒、『思凡の踊り』・・・茶谷健太
科班時代の少年、京劇学校の生徒、『思凡の踊り』・・・悠汰
科班時代の少年、京劇学校の生徒、『解放区の空』(歌)・高瀬育海
科班時代の少年、京劇学校の生徒・・・・・・・・・・・・・木村曉紀
科班時代の少年、京劇学校の生徒・・・・・・・・・・・・・茶谷力輝
科班時代の少年、京劇学校の生徒・・・・・・・・・・・・・渡辺崇人


科班時代の程蝶衣、京劇学校の生徒、『思凡の踊り』・・奥村憲太郎
科班時代の段小樓、京劇学校の生徒・・・・・・・・・・・西田欧誼
科班時代の少年、京劇学校の生徒、『思凡の踊り』・・・森久保大河
科班時代の少年、京劇学校の生徒、『思凡の踊り』・・・三澤康平
科班時代の少年、京劇学校の生徒・・・・・・・・・・・・・石河朋樹
科班時代の少年、京劇学校の生徒・・・・・・・・・・・・・蒲地竜也
科班時代の少年、京劇学校の生徒・・・・・・・・・・・・・若松克弥
科班時代の少年、京劇学校の生徒・・・・・・・・・・・・・星野雄飛


所見の回の子役は、下に書いた組(奥村憲太郎、西田欧誼、他)の出演だった。


開演前の舞台では、若手男優(と、わざわざ書かなくてもこの芝居には女優はひとりしか出ていないが)たちがウォーミングアップなのか、あれも役の内なのか、パフォーマンスをしているのだが、それ以上にめずらしかったのは、舞台の最奥の搬入口まで開放してあって、雨が降っている戸外、車や歩いているひとが見えていたこと。この劇場がどのくらいの広さで、どんな向きに設置されているのかが、はじめて分かった気がした。というと、なんだか間抜けな話に聞こえそうだが、劇場というのは、玄関からロビー、客席しか行き来していないと、意外と建物の大きさや方角が実感出来ていなかったりするのだ。
この搬入口を開ける手法というのは、過去の演目でもあったことで新奇という訳ではないらしいが、私ははじめて見た。

開演時間が迫ると、搬入口の扉は閉められ、ホリゾント幕(壁?)やカーテンで舞台らしくなる。


さて、舞台は、音楽劇。

子ども時代の程蝶衣が母親に追いかけられて来て、捕まってしまい、指を切り落とされるというシーンをスローモーションで見せるところからはじまる(右手の指が6本あったのだって。もしかして、それ、シンジンゲンじゃないのか?!と思ったが、あ、いや、シンジンゲンは足の指が6本だった(笑。シンジンゲン→http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20050613)。
そして科班(京劇俳優養成所)へ売られた蝶衣は、そこで、少年時代の段小樓と出会い、他の少年たちから自分をかばってくれる小樓を慕いつつ、女形の京劇俳優を目指す。というシーンを、子役たちによるダンスやアクロバットで見せる。

子役の蝶衣が刃物を持った母親に迫られるスローモーションは、まるで山姥にでも追いかけられているような迫力で、強烈なイメージ(やはり、山姥から逃げるには「三枚のお札」がないとダメなのだな、と昔話を連想してしまった)。このスローモーションの後に、科班の子どもたちのスピーディーなダンスやアクロバットがあり、その対照や変化が効いている。子役の蝶衣の服が鍋(かな?)のなかでぼわっと燃える印象的な演出まで、あっという間。この幕開きの数分の場面が、とても見ごたえがある。
(この最初のシーンは、舞台の終盤に到ってまるごと繰り返されるから、もういちど味わえる)


長じた蝶衣(東山紀之)と小樓(遠藤憲一)は「覇王別姫」で虞姫と項羽を演じて評判をとり、京劇のスターになった。蝶衣は子ども時代から小樓を慕っていたが、小樓は蝶衣のことを舞台の上の相手役としか見ず、娼婦上がりの菊仙(木村佳乃)を妻にする。小樓への愛憎から、蝶衣は、京劇界の大物袁世卿(西岡徳馬)に身を委ね、阿片にも溺れる。…という三角(四角かな?)関係を、中国の政治状況に翻弄される京劇の浮沈と絡めながらえがく展開。

女形の主人公を中心にした単なる恋愛劇ではなく、主要登場人物たちの関係が政治状況に伴う離反や裏切りで動くので、ずい分と辛口なストーリーだ。音楽劇仕立てだからなのか、あるいは主演俳優の持ち味ゆえか、男同士の関係や、蝶衣の(自分の母と同じ娼婦である)菊仙に対する感情には生々しさが感じにくく、政治や体制の変化で生じるドラマのほうにインパクトがある。私は、京劇が中国の政治やときどきの為政者と密接に関わった芸能だということを知らずにこの舞台を見たので、戦争や政変の影響で毀誉褒貶に揺れる京劇の姿に興味を惹かれた。


俳優として演じる舞台の世界に真実を求める蝶衣の生き方と、演じる役と自分の生活は別だと割り切る小樓。ふたりのスター俳優のあり方のちがいは芸道ものの普遍性に通じていて、悲劇を招来する因子としても説得力があり、このあたりをもっと強調した内容にすると、またちがった面白さが出たのではないか。


袁世卿との場では、舞台を動き回る、大きな花が入った水槽が雰囲気を漂わせる。ベッドの上で砕かれるスイカは、本番でも毎回3500円のものなのかしら?(3/15放送の『舞台「さらば、わが愛 覇王別姫東山紀之の挑戦』より)
蜷川演出ではおなじみ、1階客席通路の使用あり。


子役たちの出演は、上に書いた幕開きのシーンと終盤でのその繰り返し、赤と白に塗ったサルのような顔で出て来るシーン(配役の「京劇学校の生徒」がこれでしょう)、他に、後半になってから共産党の少年での登場がある。『解放区の空』のうたは、出演していたのとは別組の子がひとりだけ配役されているので、このうたは録音と思われる。

幕開きの「科班時代の少年」たちのシーンは、まず、子役の蝶衣を真ん中にして、左右に3人ずつ(子役の小樓は上手側にいた)の並びで7人の出演。そのあとのシーンでは8人になるが、7人のシーンで出ていないのは、さて誰れか?また、『思凡の踊り』というのは何だったかな?など、見取れなかったこともあるが、いちどの観劇ではこのぐらい。




京劇と政治の関係については、サントリー学芸賞を受けた、

加藤徹『京劇 ―「政治の国」の俳優群像』(中央公論新社)
http://www.suntory.co.jp/sfnd/gakugei/gei_bun0068.html

という本が面白そうなので、近々、入手して読んでみたい。