モーツァルト! 12月20日夜


12月20日(木)は、帝国劇場で、ミュージカル「モーツァルト!」の夜の部を観劇。午後5時45分開演。


12月20日夜のモーツァルト役は、

ヴォルフガング:中川晃教、アマデ:田澤有里朱

先日のログ(http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20071221/p2)と多少内容が重なるが、以下、雑感。


今回公演9回目の観劇で、ようやく、田澤有里朱ちゃんのアマデを見る。

早生まれの小学3年生は、これまで10人いるアマデのなかで最年少。

2002年が「中1、小5、小5」、2005年が「小6、小5、小5、小3」、2007年の今回が「小5、小4、小3」。黒沢ともよちゃんはアマデのときに3年生だったが、4月生まれだし、当時は5年生のアマデよりサイズ的には少し大きいくらいだった。


有里朱アマデは、小さいとは想像していたが、第1幕で最初にアマデが登場する「メスマー邸」のシーンでは、ピアノを弾いているとき、足が床につかないんだ!椅子の脚にある横棒(=横貫)を足掛けにしてつま先を置いて腰かけていた。
(あの椅子は、その後のシーンで使われる椅子に較べると、けっこう高さがあるのだね)

他のふたりのアマデが、表情の変化を抑えて演じているように見えるのに対して、有里朱アマデは無表情をベースにしている印象だ。

第2幕の「ヴォルフガングの混乱」では、ヴォルフガングの背後からのスリーパーホールドがきれいにきまっていた。


有里朱アマデを見ていると、ヴォルフガング(人間)とアマデ(才能)の葛藤ということよりも、ヴォルフガングのひとり相撲や自滅、あるいは、レオポルト vs アマデのヴォルフガングをめぐる対峙という面が強調されるようで、そこがとても面白かった。

アマデが第2幕でレオポルトの死を知ってさえも素っ気なく無感情で冷淡なのは父親(家族)がヴォルフガングの足かせになると思っていたからだろうが、第1幕のヴァルトシュテッテン男爵夫人の「星から降る金」のうたのあと、ウィーンへ行くか否かで対立する父と弟を取り持とうとしたナンネールの、ヴォルフガングが「神様の次に大切なのはパパだ」といっていたじゃない…、というセリフに、アマデは握っていたヴォルフガングの手を離し、一瞬、呆然とする。音楽の才能である自分より、父親が大事なのか…と。
オポルトが「私ほどお前を愛するものはいない」とうたう間、小さな有里朱アマデの前にひざをついて、アマデの手を握る中川ヴォルフガングの姿を見ていたら、アマデは音楽の才能としてヴォルフガングからもっと愛されたかったんじゃないのかな、と思えてならなかった。

そう思ってこのミュージカルを見れば、「魔笛」のカーテンコールでの「MOZART!」の垂れ幕をめぐるヴォルフガングとアマデの綱引き(どちらが本当のモーツァルトか)のところでレオポルト(とおぼしき人物)が現れて、「レクイエム」の作曲を依頼するのは、じつにスリリングで意味深いシーンである。


中川ヴォルフガングの芝居は、11月に見たときからずい分と変化があって、演技にとても深みを感じた。
ザルツブルクの居酒屋での動きも変わっていたし、「プラター公園」の場では、「ああ」ではなくて「いくいく」っていっていた!(やっぱりここのセリフは「いくいく」が好き)

第1幕の、アマデが羽根ペンを突き立てての幕切れでは、井上ヴォルフガングと同じようにしゃがむように変えたの?(それとも、今年の中川版のここはアマデによってちがっているのかな??)


最後の緞帳前は、田澤さんが先に出て真ん中でお辞儀、ヴォルフガングを呼び込んで、中川さん出て来ると、ふたり真ん中で向かい合ってお互いにお辞儀、アマデを抱っこしてクルクル旋回、ふたりで客席へ投げキス連発、オーケストラへも投げキス、下手へ行ってふたり手を振って、先にヴォルフガング、続いてアマデの順に走って退場して、了。


ところで、2005年からの、アマデが箱を譜面帳とひじで挟むようにするあの持ち方。
あれ、肩が凝らないのかなぁ…。もし私が、あれを断続的に3時間やったら、翌日は、腕が上がらなくなりそうだと、この頃、見るたびにそう思う。

といいつつ、今年の「モーツァルト!」観劇も、あと1回になってしまった。