壽 初春大歌舞伎 夜の部

19日に、歌舞伎座で、壽 初春大歌舞伎の夜の部を観劇。

4時30分開演で、終演は9時23分頃だった。
筋書きは、1300円。

トータルで5時間弱の上演時間がしんどいかと思い、当初は、「金閣寺」から観劇の予定だったが、存外に早く銀座に着いたので、最初の「廓三番叟」から、仕舞いまで見た。体調がよく、睡魔に襲われることもなく、初春を寿ぐ歌舞伎公演を楽しんだ。

最初の幕間で、舞台写真を物色。中村鶴松ちゃんの写真をふたつ買う。
胡蝶の精の衣裳(後シテの獅子の精にからむほうの衣裳)は、こんなふうになっていたのね、としげしげ見る。客席からでは、見ているようで見て取れないものは多い。


金閣寺は、爪先鼠で有名な演目だが、私は今回はじめて見た。勝手な先入観で、着ぐるみのねずみが出て来るものと思っていたら、そうでなかったのにいささか拍子抜け。(ねずみはいっぱい出て来ると楽しいよね。系列のスタジオからも子どもをオーディションして…って、そりゃ、何のねずみのことだか(笑))

ガイドブックの類からイメージしていた絵面とちがうと違和感があったが、筋書きによれば、雪姫(玉三郎)が縛られる桜の木を、上手ではなく、原作に則って舞台下手にしてあるとのこと。

95分という上演時間に退屈するかと思いの他、芝居としても分かりやすく、碁立も面白く見られたのは、役者が揃っていたこともあろうか。碁笥を取るといって、じっさいにあれをしたら、ぐしょ濡れになってしまいそうだ。

天下を望む松永大膳(幸四郎)だが、弟の鬼藤太(彌十郎)があんなに弱っちくてはもはやダメだな、という展開が歌舞伎らしい。真柴筑前(吉右衛門)の家来の戸田隼人(種太郎)が若く凛々しくて、よかった。

玉三郎丈の雪姫には、私はそそられないのだけれど、同じ縄付きの夫直信(梅玉)とご対面のところは、なかなかにそれっぽくて悪くない画であった。

この「祇園祭礼信仰記」という狂言にも「切られお富」にも、刀の詮議が絡んでいる。


「春興鏡獅子」は、何よりも、中村屋へ沸き起こる割れんばかりの拍手の嵐におどろかされる。勘三郎丈への、かくもすさまじい人気と期待の要因が奈辺にあるのか、私にはもうひとつ分からないのだが・・・そんなごたくは置いて、胡蝶(宗生、鶴松)は、1月2日のテレビ中継で見たよりもふたりがよく合っていて、見ごたえがあった。


「切られお富」の面白さが、格別。歌舞伎というより、普通にお芝居として楽しめるところが、いい。ただ、冒頭から主役がああも切り刻まれる趣向は、同じ夜の部の「金閣寺」とともに、退廃(異端)趣味とも取れる演目をふたつ重ねている訳で、そのあたりはどうなのか、と思わなくもなかったが・・・私の好みには合致(苦笑)。

お富(福助)に吹き替えをつかっての場面転換も印象的。それにしても、福助さんてひとは、こういう役を演るとすばらしく上手いなぁ。最後は、蝙蝠安(彌十郎)との立ち回りの途中に、チョンパとなって、「今日はこれぎり」の口上で、幕。