女優 山本安英

宮岸泰治「女優 山本安英」(影書房、3800円税別)を読んでいる。
著者は、演劇評論家東京新聞の記者だったひとで、同じ影書房他から数冊の著書がある。

なかみは、「山本安英のことば」「ある俳優がたどった道」「補遺」の三部立て。
山本安英のことば」は、雑誌「悲劇喜劇」に連載されたもので14章からなる。山本安英に近しい位置にいた著者が、女優山本安英の生き様、人となりに迫ったもので、非常に精細に書かれている。
「ある俳優がたどった道」は、山本安英が出演した舞台の、(山本安英とその役を通しての)作品論で、7篇。
「補遺」は、「木下順二『山脈(やまなみ)』の構造」で、未完。

まだ読了していないので多くは書かないが、たいへんに面白い。女優の評伝には、読み応えのある労作が出現することがままあるよう(※注)で、これもしかり。
長唄や三味線の素養があり、家元になれ、と勧められたほどだったという。ガルシア・ロルカの戯曲をはじめて日本に紹介したのはぶどうの会で、山本安英は「ベルナルダ・アルバの家」のベルナルダ・アルバを演じたが、これが、戦後、「夕鶴」に出会って以降では唯一の翻訳劇出演になった。

新劇におけるもう一方の大女優、杉村春子が、大手新劇団の看板として商業演劇からテレビドラマまで幅広く出演したのに較べ、山本安英は、ひとりの会を継続しつつ新劇の可能性のなかに屹立したひとだったのだなぁ、と思う。

著者が故人であるので、これは無理な要望だが、(巻末にでも)山本安英の年譜がぜひ欲しいところ。好著なのに、一部日付にまちがい(混同というべきか)があるのは、残念。



私が大学に入った頃、まだ、山本安英は「夕鶴」でつうを演じていた。見ようと思えば、観劇の機会はあったはずだが、「夕鶴」に限らず、山本安英の舞台はいちども見ずに終わった。ただ、当時の自分が、もし「夕鶴」を見たとして、果たしてどれほどの感銘を受けたかと考えると、甚だ疑問ではある。
舞台だけでなく、映画、小説などは、観客として読者として、出会うべき時節というのがあるのだと思う。むかしはつまらなかった作品が、いまは面白いとしたら、やっとその時節がめぐって来たからだし、むかし夢中になったのに、いまはあまり面白く感じられないとしたら、それは、すでにその時節が過ぎているからだろう。舞台などでは、出演者のちがいや、演出の変更に理由を求めがちだが、それだけでなく、自分がその作品を必要とする時節というのがあるのだと思う。
山本安英というひとは、私にとっては、活字のなかで、その存在を味わう人物のようである。





※注・・・蛇足とは思いつつも、ここ数年に読んで面白かった女優の評伝を上げておくと、
中丸美繪「杉村春子 女優として、女として」文藝春秋(文春文庫)
http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20051119/1132386054
升本喜年「紫陽花や山田五十鈴という女優」草思社
http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20051115/1131988285
(これは小説の形式をとっているが)三戸部スエをえがいた、
橘善男「小説 俳優座 わざおぎ狂乱」鳥影社

などが、印象深い。