七月大歌舞伎 夜の部(山吹/天守物語)

7月7日(金)に、歌舞伎座で、七月大歌舞伎の夜の部を観劇。

今月の歌舞伎座は、坂東玉三郎の監修もしくは演出で、泉鏡花の芝居を、昼・夜それぞれ二本立てで。

昼の部が「夜叉ヶ池」「海神別荘」、夜の部が「山吹」「天守物語」
昼・夜とも、45分の幕間が1回入る。

45分あると、劇場の外に出てゆっくり飯が食えて、なんとも楽しい。

この日が、初日。

夜の部は、4時30分の開演。

公演プログラム、1200円。
子役の出演があるのは、夜の部の2作である。

「山吹」は、玉三郎監修・衣裳、石川耕士演出。
子役は、稚児役でふたり。
童男に桐山和己、童女に澤崎由奈。

どちらも、幼い。
ふたり並んで上手から出て、盃事の酌をして、花道へ去る。

この「山吹」という芝居だが、とにかくつまらない。退屈の極み。
そう思っていたのは、私だけではないようで、最後、そろそろ緞帳が下りようかというとき、客席で大あくびをかましたおじさんがいて、そのあくび声に対し好意的な笑いが起きていた。いかに退屈していたお客さんが多かったかということだろう。

大雑把にいうと、主な登場人物は、木偶の坊にしか見えない画家(段治郎)、酔っ払いの倒錯爺い(歌六)、家出した子爵夫人(笑三郎)の3人だ。家出夫人はかつて木偶の坊画家に惚れていたが、画家の結婚を聞いて他へ嫁いだものの嫁ぎ先でいじめられてついに家出。女に折檻されたい人形使いの倒錯爺いと出逢った家出夫人は、画家への想いが適わぬならばと、この倒錯爺いと行動をともにすることを決め、木偶の坊画家の見守るなか駆け落ちに到る、という話である。

倒錯爺いが家出夫人に傘でしばかれるシーンに、もっと禍々しい妖しさのようなものがあれば面白いのだろうが、ただの滑稽じじいと風変わりな白塗り夫人との茶番にしか見えない。舞台上での動きが少ない上、セリフも耳を素通りして行く。木偶の坊画家の顔が、未熟な新劇俳優のメイクみたいで、魅力に欠けるのも難点。

95分の芝居だから、じっと座ってもいられるが、非常につまらない。あまりにつまらないので、静御前の人形を折檻してやりたくなった(笑)。あえていえば、小道具の魚(鯉)だけが面白かった。

筋書きを読むと、演っている役者もさっぱり分からないというのだから、こりゃダメだ。


天守物語」は、戌井市郎坂東玉三郎演出。
子役は、女の童が5人。
富姫(玉三郎)の女童に、山口千春、速見里菜、森山優里。
亀姫(春猿)の女童に、関根香純、鶴旨美祐。

「山吹」があまりにもつまらないので、その分もこちらが引き立って、見ごたえ多し。
105分の芝居で、前半は、天守夫人たる富姫の暮らしぶりと、亀姫との女同士の交誼のなかに、後半への展開の前振り、伏線がまじる。後半は、富姫と姫川図書之助(海老蔵)の恋。図書之助の男振りがすばらしい。実年齢より若いつくりを巧みに演じる。

ただ、後半の富姫と図書之助は、この世のものならぬ有閑マダムと若いツバメ、のように見えてしまうから、玉三郎のセリフがときに客席の笑いを誘うことになる。これは、前半の富姫と亀姫の世界が、ひとならぬものたちの場として完結しているのに対し、後半は人間たちが介入して来ることでひずみが生まれ、そのひずみが劇世界のなかだけでなく、観客の反応にも影響を及ぼすかのようだ。

図書之助を追って天守に踏み込んだ小田原修理(薪車)が獅子頭のいわれを語るところがあるが、聴こうと思って聴きながら、どうにもセリフを咀嚼出来なかった。…「山吹」でも、多くのセリフが耳を素通りしてしまったが、この分かりにくさは鏡花戯曲の特徴なのだろうか。


この初日は、「天守物語」にカーテンコールがついた。
玉三郎丈、海老蔵丈の両優。加えて、薪車丈以下の武田家臣と討手たちの面々が居並び、客席の拍手に応えた。