五月大歌舞伎(新橋演舞場) 夜の部



5月8日(月)は、新橋演舞場 五月大歌舞伎の夜の部を観劇。



演舞場まで行く間に雨が降り出す日和。



中村吉右衛門丈を座頭に据えた新橋演舞場の五月、その夜の部は、「増補双級巴 石川五右衛門(ぞうほふたつどもえいしかわごえもん)」、「京鹿子娘道成寺」、「松竹梅湯島掛額」

いずれも、肩ひじ張らずに見て、楽しめる演目だ。



4時半の開演で、30分、20分の幕間を挟んで、終演は、9時ちょうど。



石川五右衛門

は、吉右衛門扮する石川五右衛門が見せる、宙乗りでのつづら抜けが、呼び物。それこそ、あっという間のことなので、ちょいとちょいと播磨屋の檀那、葛籠が浮き上がるところから、もう一回やっちゃぁ下さいませんかねぇ、とお願いしたくなる。その前の場の、葛籠を背負った五右衛門が、妖術を使って姿を消すのも面白い(あんなところから煙を出すとは!)。

此下藤吉(染五郎)が笛を吹くところでは、笛のひとは黒御簾のなかではなく、下手側のソデにいて吹いている模様。ああいうシーンでは、ソデにいるのか、と。



大詰は、「絶景かな、絶景かな」のセリフで知られる「南禅寺山門の場」。鷹が巻物を咥えて飛んで来て、その一巻を披けば、これこそ五右衛門の出自を示した系図。自分が大内義隆の胤であると知った大泥棒は大いにご満悦。最後は、大迫りで楼門がせり上がって、貫禄たっぷりの五右衛門と、すっきりした二枚目の市川染五郎丈の対峙で「天地の見得」(というらしい)で極まって、幕。(で、なぜに、此下藤吉は巡礼姿なのか?)



筋書きの上村以和於氏の文章を読むと、「南禅寺山門」は本来は別の狂言で、それを「双級巴」に組み込んでいるそうだ。ということは、「楼門五三桐」から持って来た一幕なのかな。



京鹿子娘道成寺

筋書きの解説によると、中村福助丈の白拍子花子は東京では14年振り。ということは、はじめて見るはずなのだが、すでに見ているような気がするのは、あの映画「娘道成寺 〜蛇炎の恋〜」のおかげか、それとも、歌舞伎座橋之助丈との「男女道成寺」の記憶が新しいせいか。



所化で登場の御曹司連(種太郎、廣太郎、隼人、廣松、米吉、児太郎、龍之助)は、皆大きくて、すでに子役のイメージは薄い。いまのところは、児太郎さんがいちばんサイズが小さいようだ(筋書きの写真が新しくなったのは、重畳)。

上手・下手に分かれて座しているときは、それぞれがどこを見ているか、所化の目線の置き方に注目していると、面白い。二等席の右側の席からは、残念ながら、舞台上手の端が見えなかった(龍之助さんは、冒頭に出たっきりで、あとは手拭い撒きに出るだけでしょうか?)が、下手側にいる所化たちのうち、児太郎さんが終始白拍子花子へ目を据えていたのが、いかにもな印象。



田中傳左衛門さんの髪がずい分と短かくなっていて、けっこう目を惹いた(五月の筋書きからは、ニュースの通りに、ちゃんと「部長」になっている)。



「松竹梅湯島掛額」

吉祥院お土砂」は、ドタバタ喜劇ふうの一幕。長沼六郎(信二郎)が、6人の配下を従えて、行ったり来たりするのが、笑える。紅長(吉右衛門)の真似をする丁稚(廣松)も、愛嬌がにじんでいて、場の雰囲気に似合っていた。



「櫓のお七」は、火の見櫓の上で幕なのかと思いきや、この話にも刀の詮議が絡んでいて、手に入れた刀を持ったお七(亀治郎)の花道の引っ込みにて、幕。芝喜松さんのお杉ばかり見てしまう。





余談だが。

子どもの頃のこと、「絶景かな、絶景かな」を、「でっけえかな、でっけえかな」といっていた同級生がいたが、子どもは「絶景」なんて言葉は知らないから、そんなものかな、と思って聞いていた(笑)。