「わかくさのうた」東京公演(六行会ホール)


8月14日(土)に、六行会ホールで、

「わかくさのうた」(作・演出:高木宏道、音楽:畠井伸子)
http://blog.ap.teacup.com/wakauta10/

を観劇。

過去ログのこの公演。→http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20100805/p3


8月14日は、昼にも(サンモールスタジオで)戦争を扱った舞台を見ていて、昼・夜別公演のいずれもで、劇中に玉音放送を聴くことになった。

芝居として面白かったのは、この「わかくさのうた」のほうである。


「わかくさのうた」2010年公演のうち、東京公演はプレ公演も含め、六行会ホールで3ステージあり、見たのはその3ステージ目。

午後6時開演。上演時間は、約2時間。途中、休憩なし。


公演プログラムは、表紙込みで16ページ。カラーで、無料配付のものにしてはよく出来ていて、なかみは広告も多いが、このご時世にこれだけ広告がとれるというのも、それなりに地元での支持があるということなのだろう。

ただ、東京公演の集客は苦戦気味で、3ステージで『延べ378名』だったと、公式ブログに書かれている。が、見る側からすれば、自由席でも好みの座席を選ぶ余裕がたっぷりあるのは、ありがたいことだった。


ロビー開場は、開演1時間前(客席開場は、開演30分前)で、ロビーでは「若手作家たちの戦争画展」を開催とのことだったが、隅のほうで何だかよく分からないくらいに小ぢんまりとやっていて、とても覗いてみる気にはならなかった。プログラムにも小さく載っている絵が展示されていたのだろう。


出演者は、過去ログ(http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20100805/p3)に引いておいたが、一部ダブルキャスト(※役替わり)になっていて、所見の14日6時の回の配役は、おそらく下記のよう。

[子ども]

タロウ 細谷聡希(中3)
タケシ 安田良彦(学年秘密)
チエ 木村麗(中2)
グチ 川崎美咲(小6)
ベソ 廣木葵(中3)
ドジ 小村優香(中2)
ユビ 新井晴香(中2)
花子 内田光歩(高3)

[大人]

老人 たかぎひろみち
倉本安 レイモンド タン
鈴本町内会長 齊藤みつじ
大沢 大川雅大
細目 まつしまゆうこ
竹中 渡辺直子小平 帆足桃子
山田警部 大野耕治
田中警部補 橋本幸治
アンサンブル 新井良和 野手彩夏 沈英淑 橋本昭嗣


軸になるストーリーは、こんな感じだ。

とある劇場で、ひとりの老人(劇中の孤児・タケシの現在の姿と思われる)が回想するエピソード。終戦後まもない時期を戦災孤児として生きた、仲間たちとの記憶。

戦後の混乱期に浮浪児となり、盗みやかっぱらいをしながら、大人を頼らずに生きている戦災孤児のタロウ、タケシ、チエ、グチ、ベソ、ドジの6人。大人を信じない彼らは、警察の取り締まりや大人たちから身を守るために、自分たちの掟をつくり助け合いながら、危険や空腹と背中合わせの日々を送っていたが、スリを得意とする少女・ユビと出会い、彼女を7人目の仲間として迎え入れる。

仲間を得たユビは、とくに年少の孤児・ドジ(としこ)に妹の俤を重ねるのだったが、そのドジが仲間の掟を破り、大人と交流を持ってしまう。原爆症に苦しむ中国人だという男からもらった聖書を肌身離さぬドジは、他人のものを盗む生き方に疑問を抱くようになり、それはやがて孤児たちの結束のひびともなる。

盗みを働く孤児たちへの風当たりが強まるなか、各地に孤児を収容する施設が出来ると、浮浪児狩りも強化され、ある日、ついに大人たちの待ち伏せに遭い、ドジが捕まってしまう。逃れた6人の孤児たちは、大人に捕まったドジを助けに行くか、それとも助けには行かずに6人で別の土地へ逃げるかで、激しい論争になる。

ドジは聖書を取りに戻ったことで捕まった。仲間のルールを守らないことが多くなり、盗みの仕事にも身が入っていなかった。もし彼女を助けることが出来たとしても、きっと、また同じことを繰り返して仲間の足を引っぱる。なによりも、助けに行くのは危険だ。だからドジを助けないという現実的な結論にいったんは決しかけるが、その後、ユビの説得が功を奏して衆議は一転、ドジを助けに行くことになるのだが、この場の、ドジをめぐる孤児たちの話し合いは、まさに迫真というべきで、いちばんの見どころだ。その後、舞台は大人たちとの対決、ドジを庇って割って入った原爆症の男の死と続くのだが、「わかくさのうた」のクライマックスは、やはり6人の孤児たちそれぞれの感情が見るものの気持ちを揺さぶる、話し合いの場にこそあろう。

私は、あの状況で大人と対立しながら孤児たちが生き延びるにはきれいごとはいっていられないと思うし、お芝居としての予定調和に反発したい気分も手伝って、観劇中は、チエやグチの意見を支持したい気持ちになったが、しかし、孤児たちが結局は仲間を助けに行く決意をする展開にも、予定調和というだけでない充分な説得力があった。
それは、ドジという女の子が、孤児たちのなかでもひと際ピュアで演じる子役もまた見事に役にはまっているために、あの女の子なら危険を冒しても助けたいと思わせる存在感があること。もうひとつは、ドジを助けたいと思うユビとベソが、他の孤児たちを説得するためにうたうテーマ曲「わかくさのうた」の効果で、マイクなしの少女の声は真っ直ぐに心に響き、うたの力を感じさせた。


孤児役を演じる小〜高校生たちは、小美玉市の演劇ファミリーMyu、舞台屋あい、からの出演のようだが、揃って予想以上に上手く、とくに女の子たちは優秀だ。近年、各地で、市民ミュージカルや市民演劇の裾野が広がりつつあるが、その成果のひとつを、ここでも見た思いだった。

難をいえば、大人たちのシーンは、商業演劇で看板俳優が出て来ない場のような微妙な見心地。なかでも、役付の男優陣のほとんどは、それらしくない人物に見えてしまう。


観劇後、気になったのは、「わかくさのうた」でえがかれたあの孤児たちには、どんな「その後」が待っていたのだろうか、ということ。
戦災孤児が大人に頼ることなく、あの時代を生き抜くことは、果たして可能だったのだろうか?戦後の混乱がおさまるに連れ、結局は、どこかの時点で、大人や施設の世話にならなければ、空腹や病気で死んでしまうのか。アウトローとしてなら生きられたのか。戦災孤児という言葉は知っていても、じっさいにどんなふうにして戦後の日本で大人になったのか、具体的なことは何も知らなかったことに気づかされた。