サウンド・オブ・ミュージック(四季劇場[秋])


見に行くのは、プログラムに載っている30人の子役が全員出揃ってからにしようと思っていた、劇団四季の「サウンド・オブ・ミュージック」。まだ出演していない子役もいるけれど、某歌舞伎を見に行かないことにしたのでその代わりに「サウンド・オブ・ミュージック」を見ることにして、前日予約。

7月18日(日)昼公演を観劇。午後1時開演。

ロビー表示のタイムテーブルは、一幕 1時間20分、休憩 15分、二幕 55分。

この日、終演は、3時40分ぐらい。


キャストは、下記のよう(アンサンブルは割愛)。

マリア: 笠松はる
トラップ大佐: 芝清道
修道院長: 秋山知子
エルザ: 西田有希(劇団俳優座)
マックス: 勅使瓦武志
シュミット: 大橋伸予
フランツ: 川地啓友
シスター・ベルテ: 佐和由梨
シスター・マルガレッタ: 矢野侑子
シスター・ソフィア: あべゆき
ロルフ: 岸佳宏

リーズル: 谷口あかり
フリードリッヒ: 鳴戸嘉紀
ルイーザ: 木村奏絵
クルト: ラヴェルヌ拓海
ブリギッタ: 片岡芽衣
マルタ: 大塚あかり
グレーテル: 内田愛


とにかく暑くて、劇場に着くまでにもう死にそう。…でも、トラップ家の子どもたちのうち、とくに下の3人の女の子がかわいくって、かなり楽しめたのは、何よりのことであった。

劇団スイセイ・ミュージカルの「サウンド オブ ミュージック」では、リーズル以外の6人の子どもたちにも、一部に大人のキャストを起用していたから、本来子役が演じる6役全てに子役をキャスティングした「サウンド・オブ・ミュージック」を見るのは、私の場合、98年の東宝版を日生劇場で見て以来である。


おどろいたのは、子役の女の子、地毛の子とかつらの子が混在してるじゃん!「サウンド・オブ・ミュージック」の子役で鬘って、めずらしくない?

と、思ったが、帰ってから押入れのなかを引っかき回したら、1992年の宮本亜門演出のプログラムが見つかって(このときの青山劇場公演の子役は、当時としてはなかなか豪華だった)、そのプログラムに挟まれていた舞台写真入りの新聞記事を見たら、あ!ルイザがかつらだ。


それはともかく、グレーテル役の内田愛ちゃんて子がかわいい。このグレーテルは、見目良くて、かわいいよ。

過去に他の舞台でも見ている片岡芽衣ちゃんを、ブリギッタで見ることが出来たのはうれしかったし、個人的にはこの日の子役キャストは、女の子に関しては「当たり」だったかな。

一幕のパーティーのシーンのブリギッタは、東宝版やスイセイ・ミュージカル版よりも、セリフが多いよね。それと、東宝版では最初の登場のときに本を持っていたブリギッタが、この四季版ではノート?(手帳みたいなの)を持っていて、「ドレミの歌」の場面でメモを取ったりするのだけれど、片岡芽衣ちゃんは鉛筆を左手で持っていた。

これは、片岡芽衣ちゃんが左利きだからなのか、それとも四季のブリギッタという役が左利きの設定なのか、どっちだろう?(前者だと思うけれど、これは、また見に行って、別の子役に当たれば自ずと判明することだ)

この日、長男くんは、ボーイソプラノがきれいに出なかったが、これはいつものことなのか、たまたまだったのか…。


四季版(というよりロイド=ウェバー版というべきなのか?)「サウンド・オブ・ミュージック」は、東宝や劇団スイセイ・ミュージカルが上演した同作品に較べると、政治色がより濃く打ち出されていて、そこに劇的な緊張感はあるのだけれど、最初からナチスの影がトラップ家を覆っている設定には、どうにも違和感がある。

ロングラン公演なので、今後、四季版を再見すると、感想も変化して行くかも知れないので、ここでは、記憶にある東宝版やスイセイ・ミュージカル版の「サウンド」と較べたときに感じる違和感についてのいくつかを書いておく。


執事のフランツが当初からナチスドイツの支持者としての態度を見せていて、東宝版のような、いかにも執事そのものといったたたずまいとは明らかに異なっている。執事というよりは得体の知れない使用人といった感じがした。

トラップ家に忠実だった執事までが、物語の後半になって親ナチスへ転じてしまうことから、観客は差し迫る危機を感じ取ることにもなるのだが、それが、この四季版ではすでに最初からナチスドイツの影響力がトラップ家のなかにも及んでいたことになり、ゆえに、舞台は早い段階から不気味な雲行き。


エルザも、劇団四季版ではやや異なるイメージだ。亡き夫の財産を守るために会社を作り、自身が女社長になっていると説明される。ナチスドイツに迎合しても守るべきものを守るというエルザに対して、トラップ大佐は、結局、広大な土地やお大尽的な暮らしを捨てても、ナチスを拒み、一家での亡命を決意する人物である。この両者の対比も、ずい分と政治的だなぁ、と思わせる。

スイセイ・ミュージカル版では、第二幕の「No Way To Stop It」で、東宝版より踏み込んだ歌詞で、大佐、エルザ、マックスのナチスに対するスタンスのちがいがうたわれたが、四季版ではこれがセリフだけのシーンになっているため、うたわれるよりも、さらに大佐とエルザの考え方のちがいや対立が強調されている。


そして、四季版では、マックスも、東宝やスイセイ・ミュージカルでのキャラクターとは異なった人物として映る。演じる俳優の資質やウデのちがいもあろうけれど、四季版のマックスはなんだか冴えない役柄だ。

時流に逆らわない現実主義者でありながらも憎めないキャラクターで、大佐との友情に殉じてトラップ一家を助ける。とくに、スイセイ版でのマックスは、音楽祭でトラップ一家の逃亡を手引きしたことでツェラーに射殺されるのだが、調子のよさのなかに男気を隠し持った役どころは秀逸だった。

これが四季版のマックスになると、とにかくその居方が重たい。狂言回し的な役割りにも不足を感じる。それは、ひとつには、第一幕でエルザとマックスによってうたわれるナンバー「How Can Love Survive?」がカットされていたり、二幕では大佐、エルザ、マックスの生き方のちがいが明らかとなる「No Way To Stop It」のナンバーがうたわれず、セリフだけで進行するために、うたいどころや見せ場が削られているせいもあるのか。

四季版のマックスを見ていると、大佐との距離感ももうひとつ不明瞭だし、ナチスドイツとの関係でも、上手く立ち回っているようでいて、結局、彼は、大佐とナチスとの間で板挟みになって失脚する人物なのではないかと思えて来る。トラップ一家を助けるという潔さや、ナチスの鼻を明かしたという格好よさよりも、どこか暗澹とした未来を予感させられるのだ。


ところで、四季版には、二幕で、地方長官のツェラーだけでなく、シュライバーという海軍提督も出て来て、トラップ大佐に海軍での任務に就くよう命じる。過去のプログラムを繰ってみると、東宝版でもシュライバー提督が登場している公演があるのだけれど、この役は全く記憶になかった。


ミュージカルナンバーを概観すると、一幕で、修道院からトラップ邸へ赴く途中でのマリアのナンバー「I Have Confidence in Me (自信を持って)」がある。このナンバーは、スイセイ版にはあったが、東宝版ではうたわれない(と思っていたが、宮本亜門版の上演時にはあったようだ)。

雷をこわがった子どもたちが、マリア先生の寝室に飛び込んで来てのナンバーは「The Lonely Goatherd (ひとりぼっちの羊飼い)」で、東宝版と同じ。

一幕でエルザとマックスがうたう「How Can Love Survive?」は、なし。

二幕の「No Way To Stop It」は、うたわれない。

また、スイセイ版や、宮本亜門版にあった、マリアと子どもたちが街へ出て行って、うたい踊るようなシーンは、四季版にはない。


ミュージカルナンバーのテンポは、総じてややゆっくりな印象。スイセイ・ミュージカルに続いて、「ドレミの歌」でペギー葉山作詞を採用したことは画期的だが、他のナンバーの訳詞は、全体に、うたの言葉らしい響きのよさや心地よさは、いまひとつ。

子役のなかでは、ブリギッタがいちばんいい役なのは、四季版でも変わらない。