赤城の山も今夜を限り


先日もある番組で、「国定忠治」の赤城天神山不動の森での名ゼリフを「赤城の山も今宵限り」といっていたけれど、どうして、一般にはこのセリフが「赤城の山も今宵限り」と流布しているのだろうか?じっさい、私も、先年、劇団若獅子の「国定忠治」を見るまでは、「赤城の山も今宵限り」だと思っていた。

が、行友李風 作の戯曲では、

赤城の山も今夜を限り、生れ故郷の国定の村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の手めえ達とも、別れ別れになる首途(かどで)だ。

である。

この新国劇で有名だったはずの「国定忠治」の名ゼリフが「赤城の山も今夜を限り」ではなく、芝居とはちがう「今宵限り」という文言で広まっているようなのは、いったいどういう経緯でのことだろうと、不思議である。

舞台とは別に、たとえば時代劇スターが演じた映画の忠治が「赤城の山も今宵限り」といっていたとか、そういうことなのだろうか?

と、これを書きながら、そういえば、むかし、桃屋江戸むらさきのCMで、三木のり平国定忠治があったが、あれはどうだったかと、ネットで探してみたら、「赤城の山も今夜限り」といっていて、「今宵」ではない。
http://museum.dmc.keio.ac.jp/momoya/2007/11/tvcm218-cm1001991.html(国定忠治篇の動画)
http://past.momoya.co.jp/anime/(桃屋 のり平アニメ博物館)


改めて、昨年購入した、
国定忠治」42年振り全通し上演〜才兵衛茶屋より土蔵大捕物まで〜のDVD
 (これ。→http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20091021/p1)
で、笠原章の忠治を見て、『赤城の山も今夜を限り、…』を確認してみたが、その際、

日本ペンクラブ 電子文藝館にある戯曲、行友李風 作「極付 国定忠治」を参照した(上記の引用も)。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/play/yukimotorifu.html

ただし、電子文藝館には赤城天神山の場までしか載せていないから、続きも読みたいものだとて、今度、「行友李風戯曲集」をどこかで探そう、という算段をこれから…