三丁目の夕日 (明治座) 千穐楽


11月28日(金)に、明治座で、

三丁目の夕日(西岸良平 原作、飯野陽子 脚本、堤泰之 演出)

を観劇。

3日が初日だった11月明治座公演の千秋楽。

11時30分開演。

ロビー表示の上演時間は、3時間50分。

第一幕、1時間。休憩、30分。第二幕、50分。休憩、25分。第三幕、1時間5分。

カーテンコールでは、千秋楽ということで、座長さんから簡単な挨拶があった。子役はカーテンコールには出なかった。(カーテンコール自体は、毎回やっていたのかしら?)

脚本の飯野陽子というひとは、舞台の脚本はこれがはじめてだとある。最近では、NHK土曜ドラマ「ジャッジ2」第4回の脚本家として名前が記憶にある。


出演の子役(配役)は、以前に書いたとおり。
 →http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20081103/p1(明治座三丁目の夕日」の子役)

この28日は、プログラムの見開き右側(14ページ)の子たちが出演していたと思うので、

みのる:三澤康平 しょういち:島田達矢 しんじ:横溝巧 たかし:小澤正憲 ゆり:横溝彩乃 まりこ:片岡芽衣 きみこ:森田結海 あき:藤原梨名 のりこ:片岡妃菜

ただし、全員は視認出来ず。とくに女の子は、髪形が変わるとよく分からない(女の子のおかっぱは、かつらだったのかしら?)。


子役が目立ったシーンをいつくか挙げておくと、

幕開きは、子役が客席通路からの出で舞台に上がってフラフープなどで遊んだあと、続けて紙芝居になる。(客席から舞台への階段が2か所にあったのは、この、冒頭の場面で子役が舞台に乗るため) ここで、子役が8人なのは、「あき」という子が出ていなかったからでしょうか?

「あき」は、第三幕、つまりこの芝居の第一幕からすると10年後にあたる、昭和43年師走の商店街の場にけっこう長く出ていた。

第一幕の最後の商店街の場には、「みのる」「しょういち」「きみこ」が出ていて、記念撮影のときの並びや演技からすると、「きみこ」という子は、写真館の娘のようである。

台風の日の倉田家の屋根裏部屋が、「みのる」「のりこ」。

倉田家の長女と同じ名前で、倉田八郎に履き物を直してもらうのが「まりこ」、その友だちが「ゆり」。あとは、花町忠男に向かってバンってやる男の子がいたけど、見取れず。

商店街の場は、何回かあって、上記以外でも子役が出ていたが、すでに記憶がおぼろげ。


こう書いてしまうと身も蓋もないが、私には退屈な芝居だった。あらかじめ、舞台で上演されるのは映画の「三丁目の夕日」とはちがうエピソードだと知ってはいたが、あの映画の面白さの一端でも味わえるかと期待して足を運ぶと、見事に裏切られた。

おそらく、この舞台は、三田佳子主演に相応しいエピソードを「三丁目の夕日」のなかから探し出して劇化したというだけの、つまりは、いつもと変わらない明治座三田佳子公演だったのだろう。それを、つい「三丁目の夕日」ということで、ヒット映画のイメージを捨て切れず、いつもの明治座の舞台とは何かちがうものを見せてくれるのではないか、と期待したのがまちがいだった訳である。

舞台の使い方や場割りからして典型的な明治座公演。セットの手前部分に背景幕を下ろすと舞台前方が「広場」や「道」になる。それをいわゆる幕前として進行するのかと思えば、さらにその手前に黒幕を下ろしての幕前が付き、加えて暗転まであったのには、もう、何をかいわんや、である。
舞台下手側に倉田家の台所、上手側に同家の屋根裏部屋を置いて、家の上下を右左に配して見せるという工夫はあったが、そのせっかくのセットも人物の出入りが限定されていて、必ずしも活かされていたとはいえない。


大学講師の倉田八郎(篠田三郎)と、その妻・倉田恵子(三田)には、真理子(国分佐智子)、奈津子(須藤温子)のふたりの娘がいる。長女・真理子にカストリ雑誌の編集者・関谷(金子昇)という恋人が出来たため、八郎は父親として心穏やかでない。
真理子は八郎の連れ子で、真理子もそう思っている。しかし、じつは、恵子が若い頃に産んだものの、胸の病のために泣く泣く手放した子こそ真理子であり、恵子は真理子のことを実の娘と分かっていながら、それを隠して、八郎の連れ子として育てて来た。

八郎と彼の先妻の間には子どもがなく、拾った赤ん坊の真理子を慈しんだが、真理子が5歳のときに先妻は亡くなる。先妻の死後、真理子の実の母親のことが気になった八郎は、洋装店を営む恵子がそうだと探し当てる。そして、真理子を連れて、この子の服を仕立てて欲しいといって彼女の洋装店に客として訪れたのだった。この出会いをきっかけにして、八郎は恵子と再婚することになり、恵子は真理子が自分の産んだ娘だと気づきながらもそれを胸に秘めたまま暮らして来たのである。

婚約したばかりの真理子が事故で亡くなった後に、八郎が妻の恵子に、自分は恵子が真理子の実の母だと知った上で洋装店を訪ねたこと、また、恵子が真理子のことを自分が産んだ娘と分かっていたことも知っていたのだと告げる件りは、両者が感情の機微をベテランらしく演じ、セリフにも説得力がある。

前の幕で、恵子は、隣家の妻(音無美紀子)に向かって、他人のこととしながら、病気を感染さないために別れた子どもと5年後に出会い、お守りを見て我が子と分かったひとがいるのだという話をしているし、恵子が結核を患っていたことは、また別のシーンで、商店街の草分的存在のキン(新橋耐子)との会話のなかに出ていて、いずれもが伏線になっている。

舞台は、それから数年が経過し、次女の奈津子が姉の婚約者だった関谷と結婚することになるという落ちがついての幕引きになる。


以上の倉田家夫婦の過去と絆をえがいた部分は、それなりに見どころがあるのだが、これだけだとひと幕にでもおさまってしまう内容。このメインストーリーをとりまくシーンやエピソードが中途半端だったり、いかにも場つなぎ的なのが、難。第一幕終盤の昭和ソングメドレーにしても、歌い手ではないメインキャストのうた声が聴けるという趣向以上のものとは思えなかった。
倉田家のストーリーにしても、過去のシーンや回想が付く訳でもないので、看板役者の腕頼みといった印象。

せっかくの三幕構成なのだから、各幕それぞれに核となるエピソードを置いてじっくりえがきながら連環させるとか、昭和30年代の風景やヒットソングを重視するならば、そのためのストーリーを組み込むなどして欲しかったところ。


それでも、子役がどこに出て来るかとの興味から、眠くならずに済んだ。

藤原梨名ちゃんを認識したので、他の舞台で見ても大丈夫である。