河村常雄の家元探訪


読売新聞サイト、エンタメの<河村常雄の家元探訪>

先日までの『観世清和』篇が「(10)」をもって終了。

3/21付から、『坂東三津五郎』篇がスタート。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/trad/20080321et0c.htm

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観世清和』篇で注目したのは、こんな発言だ。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/trad/20080314et01.htm

「かつて、能の鑑賞者は、実際に謡や芝居を稽古し、その延長線上で見る方が大半でした。今ここにきまして、ありがたいことに能の純粋な鑑賞者が増えたと思います。ところが、その方々に謡をお薦めしてもなかなかいらっしゃらない。自らやろうする方が少ない。それではだめで、私は、お稽古ごととして能をおやりになる方を増やしていかなければいけないと思います。純粋な鑑賞者も大事ですが、お稽古ごとでなさる方も大事なのです。このバランスがとれないといけません。能が純粋な演劇や音楽ではないということです。これは歴史的に見て各大名が能を習ったことでも分かります」

ここには、『能が純粋な演劇や音楽ではない』から鑑賞するだけでは能の充分な理解には到らない、という演者側の率直な認識と、観客だけが増えても、素人弟子が来てくれないと能楽師の収入が潤わないという家元の立場からの経営的視点とが現れているようで、面白く読んだ。

(むかしは、能を見に行くと、謡や仕舞をやっているようなひとたちは狂言を見ないものだから、狂言になると見所ががらっと空いたものだったが、純粋な鑑賞者が増えたという最近は、そんなことはないのかしら?)

子方については、↓あたりに。
「(6)」
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/trad/20080215et08.htm
「(7)」
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/trad/20080221et0a.htm