放浪記(シアタークリエ) 2月19日


すでに半月近く前のことになったが、2月19日(火)にシアタークリエで見た「放浪記」の雑感を書こう。

シアタークリエでの「放浪記」観劇は、2月19日が4度目になる。

午後1時開演。行商人の子役は、今津凪沙さん。


日夏京子役は、2月7日から黒柳徹子になっている。黒柳徹子さんがこの役で出演するのは、2003年以来2度目のことだが、私は、はじめて見る。

白水社刊の評伝「トットちゃんの万華鏡」(これ。→http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20080117/p2)のなかに、調査魔の黒柳は、2003年「放浪記」出演にあたり、林芙美子と友谷静栄(菊田一夫作のこの舞台での日夏京子のモデル)が出していた同人雑誌が「ふたり」ではなく「二人」だったことを調べていたというエピソードが紹介されている。

誌名が漢字書きの「二人」だったことは、林芙美子「文学的自叙伝」など読めば書いてあることだし、劇中では「女人芸術」を「女性芸術」と変えてあったり、芙美子と菊田一夫以外の登場人物は、明らかにモデルが誰れなのか分かる場合でも役名が付けられていることからすれば、菊田一夫は、わざと「ふたり」というひらがな書きにしたのではないかとも思うのだが・・・

この黒柳お京さんによる変更なのだろう、カフェー寿楽で芙美子と京子が同人誌を出すことで意気投合する場面では、指で書く文字も「二人」と漢字にしてあった。また、これは、2月28日の観劇の折に見取ったことだが、四幕一場の世田谷の家で、白坂五郎(米倉斉加年)と村野やす子(青木玲子)が手に取る件の冊子の表紙も漢字書きの「二人」となっていて、ちゃんと小道具も直っている。

他の日夏京子(といっても、私が見ているのは、樫山文枝池内淳子奈良岡朋子高畑淳子の4人)とのいちばん大きなちがいは、第四幕の世田谷の家で、白坂五郎を相手に毛糸の巻き取りをして、さらにマフラーを編むという演技だろう。セリフをいいながら毛糸を巻き取る芝居の忙しさが、いかにも黒柳徹子というひとのイメージに似合ってはいるが、毛糸を扱う様子がうるさくも感じられてしまった。

全体に、この日の観劇では違和感のほうが大きかったのだが、他の日夏京子たちとは明らかにちがう芝居や動きがいろいろとあるために、共演者がそのちがいにどう応じているのかを見る、そんな楽しみがあって、これこそが黒柳版日夏京子での最大の見どころとなりそうだ。


今回のシアタークリエ公演、今津凪沙ちゃんが着ている行商人の子の衣裳は、つぎはぎになっている。前は、行商人の子の着物にあんなにつぎはぎはなかったはず。2005年公演のビデオを再確認しても、岩井優季ちゃんの衣裳に、今回公演のようなつぎはぎは見当たらない。


シアタークリエ公演では、第一幕の本郷の下宿の場から、第二幕のカフェーへの転換に(芸術座時代よりも)時間がかかっていると思う。この転換で使われる「女給の唄」が流れている時間が長いのである。


この日の座席は、やや後方の列の1番(つまり下手側のいちばん壁際の席)だった。確かに出入りには不自由するが、座席自体は別に窮屈とはいえない。この劇場の座席を窮屈といってしまったら、たとえば中日劇場の椅子には座っていられないことになるだろう。

ただ、休憩時間や終演後に、階段へ行きたいひととエレベーターや日比谷シャンテへ出たいひととがかち合ってしまったり、売店へ行こうと客席を出ると紳士用レストルームへ向かうひとと衝突しそうになるといった構造は、たしかにちょっと危険な気はする。「放浪記」の客層は、ミュージカルに較べると、幕間にロビーへ出るひとの率が低いから、いまのところ不満には思わないが、「レベッカ」ではどうだろうか。




シアタークリエ公演の観劇雑感。
http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20080221/p1(1/31)
http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20080125/p1(1/24)
http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20080108/p1(1/7)

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「女給の唄」のメロディは↓で聴くことが出来ます。(注:音が出ます)
http://8.health-life.net/~susa26/natumero/6-10/zyokyunouta.html