二月大歌舞伎 夜の部


2月25日(月)は、歌舞伎座で、初代松本白鸚二十七回忌追善 二月大歌舞伎の夜の部を見物。2月の歌舞伎座は、1日が初日で、この25日が千穐楽

夜の部は、「寿曽我対面」「初代松本白鸚二十七回忌追善 口上」「熊谷陣屋」「春興鏡獅子」だが・・・


この日は、午後3時から「シェイクスピアの人々とロンドンミュージカル」というのを見ていて、歌舞伎は「口上」からの予定でいた。が、「シェイクスピアロンドン」が終わったのが5時19分頃と、予想したよりも長くかかり、銀座みゆき館劇場から歌舞伎座まで韋駄天走り。というのは冗談だが、とにかく急いで、「口上」になんとか間に合ったという次第。席に座って数秒後に、「口上」の幕が開いた。


「初代松本白鸚二十七回忌追善 口上」は、下手から、吉右衛門染五郎幸四郎松緑雀右衛門、の五優の列座で。

幸四郎丈が、父白鸚は派手なことが好きではなかったので、親子兄弟親類の5人の列座での「口上」にしたというようなことをいっていた。「口上」のふすま絵は、白鸚筆の松の絵をもとにしたもので、その原画は2階ロビーに展示してあるとのことだったが、時間がなくて見ていない。巡業先(松江)の白鸚へ夫人がチョコレートを贈ったエピソード、に微笑を誘われた。


30分の幕間は、食事のあと、舞台写真を物色。千秋楽とあって、売り切れになっている写真が少なからず。
子役(胡蝶の精)の写真も欠番になっているものがあった。とりあえず、2点買ったが、後になってから、1枚は蝶々の衣裳になってからの写真にすればよかったか、とやや後悔。


「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」では、鳩サブレー(熊谷の向かい鳩の紋のこと)を数えたりしているうち、中学生のとき運動会で「直実節」を踊ったことを思い出すのは、この演目を見るに際しての、もはや定番。地元というほどでもないのに、毎年、3年生が運動会で「直実節」を踊らされたのは、当時の体育教師に熊谷出身者がいたのかしら…などと思っていると、舞台は幕外。松緑丈の堤軍次がよかったと思う。

「熊谷陣屋」は、いくら芝居とはいえ、人物設定に抵抗を感じてしまって、どうにもだめである。無官大夫が後白河院の胤、というのは、院と義経の関係を考えれば、面白い設定ではあるが。でも、身代わりにされた小次郎って、史実では、ちゃんと熊谷家の跡を取っているよね。


15分の幕間後、染五郎丈の弥生・獅子の精で「春興鏡獅子」。今月の歌舞伎座は、これがいちばん見たかった訳だが、なかなか予定が組めず、千秋楽に到っての観劇。

拙ブログのコメント欄(2/4のログ)に好評のご意見や情報もいただいていましたが、胡蝶の精のふたりが、なるほど上手かった。

松本錦政さんが小気味よく踊るのに対し、中村梅丸さんは悠然とした風姿が印象的。

錦政さんのほうがひと回り小さいせいなのか、獅子の精との距離のとり方が(梅丸さんの側よりも)詰まっていることが多く、上(3階1列)から見ているとそれが少し気にはなった。


25日は、鈴太鼓を持って踊っているとき、錦政さんが右手の鈴太鼓を落としたのだが、どうするかと思ったら、動じる様子もなくそのまま踊り続け、すぐに後見が予備の鈴太鼓を手渡し、落としたものも後見が片付けた。なるほど、道具を落としても拾わずに踊るのだね。何事もなかったかのような胡蝶のふたりに、後見の仕事ぶりも含めて、いいものを見たと思った。

(かつて、浅草公会堂での「鏡獅子」で、鈴太鼓が割れたのを見たことがあったが、そのときは、すぐ後ろに後見がいる場面だったので、後見がさっと鈴太鼓を出して取り替えていた)


午後9時少し前に、終演。