放浪記 千秋楽(中日劇場)

10月31日(火)は、中日劇場で「放浪記」を観劇。

当初、観劇の予定は立てていなかったが、観劇日の3日前に、良席が出て来たのでそれを購入しての名古屋行。旅のお供は、「シアターガイド」(2006年12月号)と、「文藝」(2006 冬号)。「文藝」に掲載の、綿矢りさ「夢を与える」を往復の新幹線の車中で読了する試みだったが、なんと!読み終らなかった(「夢を与える」は、アイドルの女の子が主人公の小説)。
中日ビルに着くと、例によって、エレベーター待ちのひとが大勢なので、これもいつも通りに、4階までエスカレーターを使い、あとは『中日アルプス』(という名前がついている階段)を上る。



「放浪記」中日劇場公演は、この日が千穐楽。12時開演。
公演プログラムが、1000円。前月、帝劇での、1800回達成カーテンコールの様子がカラー1頁で(東宝の公式ページに出ていた写真、竹内祐稀・今津凪沙の両嬢が森光子さんといっしょのも載っている)。
子役は、帝劇からそのままで、この千穐楽の行商人の子役は、今津凪沙ちゃんが演じた。
今回の、今津さんのお芝居の見どころは・・・ご飯はまだあるかとキシに訊ねるセリフの前に、ご飯はあるのかなぁと気になる様子をはっきり見せているところか。

演出、というかセットの組み方などは、出版記念会の場や尾道の場も帝劇と同じ(つまり、芸術座とは別仕様)。ただし、尾道の場は、盆が狭い(奥行きがない?)からだろうか、セットも帝劇より窮屈に組んであって、芙美子と恭助が話すのが家のすぐ裏手になる感じ。帝劇では、盆が回ると、家がもっと舞台の奥へ行って、程よく距離感があった。

おなじみ、木賃宿でのでんぐり返しのときに、おでこをついていちど止まってしまったので、びっくりした。そのあと、ちゃんとでんぐり返って、拍手喝采となったが、どうしたのだろう。上手く行かなかったのか、フェイントか、千穐楽サービスなのか、森光子さんぐらいになると、もう訳が分からないぞ。

この舞台は、林芙美子「放浪記」(新潮文庫)を読んでから見ると、より面白いのだと気づいた。いままで聴き流していたセリフが、あ、これは「放浪記」のあの部分から採っていたんだ、などと分かる。またの観劇では、さらにセリフに集中して見たいと思った。

森光子さんのカーテンコールのあと、いったん緞帳が下りると、舞台下手に上野山役の丸山博一さんが登場して、客席へ挨拶あったあと、オールキャスト(ダブルキャストの子役は、今津凪沙さんだけ)が舞台に勢揃いしての千穐楽カーテンコール。
司会の丸山博一さんによる紹介で、メインキャストの11人から客席へ挨拶。挨拶の順番は、青木玲子さん→深江章喜さん→中島久之さん→有森也実さん→大出俊さん→斎藤晴彦さん→大塚道子さん→米倉斉加年さん→山本学さん→奈良岡朋子さん→森光子さん。並びは、前列は、メインの11人の他に、最下手から武岡淳一(藤山武士役)さんと鷹西雅裕(義父謙作役)さん、最上手から新井みよ子(女占師役)さんと原康義さん(伊達春彦役)で、15人(+司会)。

各優の挨拶は、ご当地名古屋のことを絡めたひとが何人か。
香取恭助役の中島久之さんは、第三幕の尾道の場で、芙美子にもらったお土産を恭助はあのあとどうしたのか、とよく訊かれるが、(きっぱり)捨てました、とのことである。
東山紀之さんが来ていますとの紹介があったが、舞台への登場は、なかった。

千穐楽カーテンコールが終わったのが、ちょうど、4時頃だった。この日で、通算公演回数は、1858回。
「放浪記」の次の上演は、シアタークリエまでないのだろうか?(キャパシティの小さいところではやって欲しくない、というのが正直な気持ちだ)


ロビーには「マイ・フェア・レディ」(2007年4月21日〜29日)のチラシがあったので、数枚、取って来た。