時代の証言者 中村吉右衛門 7



読売新聞朝刊に連載の「時代の証言者」

歌舞伎俳優 中村吉右衛門の第「7」回(5月18日付)は、『「木の芽会」で兄と役を研究』



今回は、自主公演「木の芽会」のこと。



勉強について行けなくなると学校も嫌になり、『中学のころから遊びの方が好きになって、ナイトクラブに行き、酒も飲みましたよ。』が、身体が丈夫でないからあまり飲めない。いまも酒は飲めない。ビールをコップ一杯でも真っ赤になる。



女形は嫌だったが、立役には熱心だった。

1960年3月、兄(当時染五郎)や(弟子の)松本錦吾たちと自主公演「木の芽会」をはじめる。

 『木の芽会は、中学3年のときでした。会場として文京公会堂を探しました。そのころは、年齢的に役がなかなかつかない。

自分たちでポスターを作ったり、切符を売ったりしまして、これも勉強になりました。




第1回公演では「大蔵卿」を演った。初代が得意としたが、父・幸四郎は演っていない役で、先代の勘三郎(中村屋のおじさん)に教わった。

一対一でセリフの稽古をしてもらっていたら、

そのうち足がしびれてきて緊張のあまりか、痛くなってくる。途中で足を投げ出すわけにもいかず、そのまま続けていたら痛くて涙が出てきた。そうしたらおじさんが心配してね。厳しくしたんでこの子は泣き出したか、と思われたのでしょう。

 おじさんも初代や六代目菊五郎から厳しく教わっていますから、「坊や、いいんだよ、今にうまくなるから」となぐさめてくれました。後におじさんが病気で休まれたとき、おかげさまで代役をさせていただきました。




第1回(兄は「忠臣蔵」五、六段目の勘平を演じた)は松竹在籍だったが、その後、東宝へ移籍することになり歌舞伎をやる機会が減るが、木の芽会でいろんな役をおぼえた。







・・・インターネットで木の芽会を検索したら、札幌大学図書館(郡司文庫)の新着リストに木の芽会第2回公演「石切梶原」他(61年4月)のプログラムがあって、市川染五郎中村萬之助編集となっている。