時代の証言者 中村吉右衛門 5
読売新聞朝刊に連載の「時代の証言者」
歌舞伎俳優 中村吉右衛門の第「5」回(5月16日付)は、『「女形はいや」悩んだ思春期』
今回は、子役時代から思春期にかけての話。
子役のときは先代の吉之丞に教わった。簡単なものは母が教えてくれた。長じては、実父に教わるようになった。
子役時代の1956年に、「山姥」の怪童丸と「戻駕」の禿たよりで毎日演劇賞を受賞。久保田万太郎の推薦があったという。
変声期が早く、『声は「戻駕」(55年)の禿のときにだめになりました。』
が、芝居は嫌いではなかった。
『ただ、その後に女形をやらされるようになってくると、だめでしたね。小学校高学年から中学あたりになりますと、男としての自覚が出てきます。何で女なんかやらなきゃならないんだ、と。禿のときは踊りなのでまだいいのですが、いい声が出なくなっており、女形の芝居に出るとお客さんが笑ったりする。余計いやになってしまいました。
女形をしていると学校でも「おんなおとこ」とからかわれたりします。』
しなをつくるのがいやで、女形はいやいややっていた。
『中学生のころが、一番そういう時代でしたね。箸にも棒にもかからないやり方だったでしょう。劇評でも、よくやっているとも何とも書かれませんでした。一番中途半端なころですね。』
・・・ちなみに、二代目中村吉右衛門さんは、1944年5月22日生まれ。