時代の証言者 中村吉右衛門 3



読売新聞朝刊に連載の「時代の証言者」

歌舞伎俳優 中村吉右衛門(61)の第「3」回(5月13日付)は、『大所帯…「ばあや」の背で育つ』



戦時中のこと、日光へ疎開していた際のエピソードが中心。



 『戦前の初代吉右衛門の家は、東京・牛込区(現新宿区)の若宮町にあり、母はそこで私を産みました。



 武蔵野を模した雑木林の庭があり、お手伝いさんが10人もいるような家だったそうです。昔の歌舞伎役者はそういう生活をしていたようですね。錚々たる人たちはお屋敷に住んでいたようです。




空襲が激しくなり、初代夫婦、実母、兄(現幸四郎)、弟子の現吉之丞、狂言作者夫婦、ばあやとともに日光の寺に疎開した。日光では電車のブレーキ故障で事故に遭ったが無事。二代目をおぶっていたばあやは両鎖骨を骨折していたが、それをおして世話をしてくれた。

ばあやは千葉県の漁師の娘で、10代で初代の家にお手伝いさんとして来て、母に付いた。結婚でやめたが、ご主人が亡くなって再び働きにきたそうです。65年に58歳で亡くなりました。



 『小学校に上がると、土日は初代吉右衛門の家に泊まり、学校は両親のいる藤間の家から通っていました。生活の場が二つあったのですが、何の苦痛もかんじることなく、面白かったですね。今のお子さんと違って、親の言うまま素直に従った。どうして養子にいったのだろうと思わなかった。







・・・ばあやさんは、高麗屋播磨屋と、どっちの家に仕えているばあやなのかと思いきや、なるほど、もともとはお嬢さん(=二代目の母堂)付きだったひとなのだね。ばあやとはいいつつ、終戦の頃は38歳か。



疎開したという昭和20年は、吉右衛門1歳。兄幸四郎がふたつ上。いっしょに疎開したという(二代目)吉之丞は、昭和7年生まれだから13歳になる。