にゃんころげの助のはなし



さて、今回は、当家に仕えた(いまは亡き)先代の猫の話をしよう。



その猫は、姓を「にゃん」名を「ころげの助」といった。

名が示すとおり、雄ネコで、若くして禄をはなれた浪猫であった。



武士は食わねど高楊枝、などというものの、空腹は耐えがたきようで、仕官を求めて愛嬌を振り撒き、当家の周りを徘徊しておった。



秋も深まり、夜風が身にしみる季節となり、その浪猫を哀れと思ったばぁやが食い残しの饅頭をやったところ、仕官が適ったと早合点して上がり込み、以前よりずっと当家の内にいたような顔をして見せた。



猫柄もよく、濃茶の毛足が長く、瞳は黄緑色をしていた。あるいは紅毛の血が混じっているかと思われた。当家におっても、ごくわずかな食い扶持しか給せぬが、よいか、と聞くと「あにゃー」と首肯するので、置いてやることにした。



ころげの助は、浪々の身をかこっていたとはいえ侍猫だけあって、朝は夜も明け切らぬ暗いうちから、外へと繰り出し、当家の周囲を巡視し、不逞な猫がいれば追い散らし、どこぞの怪しき忍び猫が現れても、侵入の気配をいち早く察知し、見事に返り討ちにして見せた。

その活躍や、あっぱれと、たびたび褒めてやったものだ。



ころげの助が腕の立つ猫であると知った私は大いによろこび、夜になると、ころげの助を部屋に入れ、「とのい」を申しつけることにした。ころげの助は、冬の夜を、ストーブの前で長くなって堂々と居座り、「とのい」の役をよくつとめた。



ころげの助に忠義のこころありと見た私は、手術を受けさせ、長く側近くに置く決意をした。結果、ころげの助は、いわば宦官になってしまったが、腕はますます冴え、春に向け、当家の周囲はノラ猫も近寄らず、安寧と思われた。



その日は強風が吹き荒れ、どんよりと曇り空の、まさに春の嵐であった。朝から、どこか剣呑な空気であった。ころげの助は、荒天をものともせず、巡視に出ていたが、私が野暮用にて家を出るときにはどこからともなく姿を現し、見送ってくれた。

これが、生前の、ころげの助の雄姿を見た最後であった。



数時間後、用を済ませて戻って来ると、道路の端に、力なく横たわる黒っぽい影が目に飛び込んで来た。

「ころげの助!」

その身体から流れた血が、舗装された道を赤黒く染めていた。



衣服が汚れるもかまわず、ころげの助の身体をそっと抱きかかえて、家へ連れ帰った。その変わり果てた姿には、涙を禁じ得ず、慌てて出迎えたばぁやは、滂沱と泣き伏した。



ころげの助は、無謀にも、西洋から伝来の自動車と申す乗り物に戦いを挑み、討ち死にを遂げたものと推察された。



私は、服を脱ぐと、ダンボールの箱にその服を敷き、そこに、ころげの助を安置した。翌日は、箱ごと、ころげの助を抱えると、家の中をゆっくり歩いた。お前が暮らした場所を、名残りに、見せてあげよう。



仕官していまだ数か月。春まだ浅き日に、我が側近の筆頭「にゃんころげの助」は、ひとり帰らぬ旅路へと出立したのである。