吉例顔見世大歌舞伎 昼の部 (歌舞伎座)



11月21日(月)は、歌舞伎座で、吉例顔見世大歌舞伎を見た。



今月3度目になる昼の部の観劇。

この日は、(「息子」と「うかれ坊主」は飛ばして)「熊谷陣屋」「雨の五郎」「文七元結」を見た。



今月、昼の部のチケットは、前日になると、3階1列の19〜21番あたりが出て来ることが多かった(どこから戻って来ていたのかな)。ということで、件の3階1列目を取っての見物。





「熊谷陣屋」

先般読んだ本「才能の森」(朝日選書)のなかで、著者の扇田昭彦氏は、安部公房が『主情的、生理的な演技を嫌悪した』として、次のように書いている。

歌舞伎などの日本の伝統芸能に見られる「俳優の主情とか心情的なものを爆発させる」演技は、「抑圧された(心理の)ねじれを利用」した「ヒステリーの構造」に近いもので、それは結局、「共同体復帰の幻想」につながると批判するのだ。』(同書、157頁)



「熊谷陣屋」における次郎直実の「演技」は、まさにこの、安部公房が嫌ったというパターンそのものだ、と思った。



ところで、弥陀六が育てているという娘は、かわいいのだろうか。もし器量良しなら、無官太夫敦盛、おいし過ぎる。身替わりに死んだ小次郎が、余りにも哀れだ。院に尻尾を振って、熊谷直実に無理難題を強いる義経にむかっ腹が立って来て、見ていてどうにも勘弁ならねぇ。ま、そんなやり口だから、兄頼朝に嫌われて行き場を失い、やがて非業の最期を遂げるも道理か。



この日は、人間国宝丈の相模がよろけて手をついたり、息子の首を転がしちゃったり(客席の一部からは笑声が)。





余談だが・・・埼玉県育ちだと、地元でなくても、熊谷直実は郷土の英雄ということで、運動会や体育祭で「直実節」を踊った経験のあるむきも少なくないのでは。なんでも、最近は、ロック調にアレンジした「直実節」が流行りで、熊谷市下の多くの小学生が運動会などで踊っているという。



「雨の五郎」

のど越しよく、小気味いい佳品、といった趣で楽しめた。

が、この手の舞踊で、よく分からないのは、なぜ、若い者がシンの役者に打ってかかるのかということ。

曽我五郎は化粧坂少将と深い仲で廓に通って来るというのだから、廓にすればお客でしょう。そのお客に、何で廓の若い者が狼藉をするのか。五郎は間夫で、あんな間夫がいてはためにならないというので、ふたりの仲を裂こうという魂胆なのか。理屈抜きに、主役を引き立たせる、ただの「絡み」なのか。なるべく、ただの「絡み」と思って見ることにしているが、・・・ここらへんが、筋書きや解説書の類にも書いてない訳で、いまだに理解の及ばぬところだ。



文七元結

幕間に、(舞台写真の入った)筋書きの見本を見たら、今月のセリフに合わせて、あらすじも「来年の十二月まで」に直っていた。いつぞや、月の途中で変更があったときにも、筋書きがそれに応じて直ったから、歌舞伎座の筋書きは、こういうところは細かい、というか、しっかりしている。



山口千春ちゃんのお豆がもらう、「ねえさんが食べないのなら、あたしがかわりに食べてあげよう」のあのお菓子、美味しいのかな?

酒屋丁稚くんは、だんだんセリフの調子が安定して来た。