吉例顔見世大歌舞伎 昼の部「熊谷陣屋」「文七元結」他



15日(火)は、歌舞伎座で、吉例顔見世大歌舞伎の昼の部を観劇。今月昼の部は、6日につづいて2度目。



劇場に着くと、早速、舞台写真のコーナーへ。でも、子役の写っている写真は、なかった。(もちろん、大改め鷹之資くんの写真は、たくさん出ていたが)



先回と同様に、舞踊二題は飛ばして、「息子」「熊谷陣屋」「文七元結」を見た。



三階の最前列だったのだけれど、通路側でなかったのでとにかく窮屈。それに、少し後ろにいた3人連れの外国人客が終始異国語でしゃべっていて、それが耳について五月蝿くて、参った。

隣の席のお客さんが「熊谷陣屋」を見て帰ってくれたので、「文七元結」では少し楽になった。「熊谷陣屋」まででいなくなるお客さん、少なからずなのは、やはり仁左衛門丈を見に来ているのかしら?





「息子」

解釈を楽しむ、と先回の観劇雑感に書いたが、今回は別の感想を持った。

息子と火の番の親爺が目を合わせたとき、息子はそれが父と気づくが、親爺のほうの演技は「微妙」なところでとまっている。ここで、親爺も気づいて、以後は、気づかない繕いでいる、ということがはっきり客席に分かるように演じてもいいのではないか。

手先に捕まった息子が、親爺に顔を見せるといわれたときの動揺と、戸を閉めて、ひとり淡々と番小屋に籠もる父親の様子に齟齬があって、すっきりしない。(・・・もしかして!火の番の親爺、認知症気味なのか??)



「熊谷陣屋」

歌舞伎に荒唐無稽はつきものだとして、ひきこまれる荒唐無稽と、気持ちが受け付けない荒唐無稽がある。「熊谷陣屋」は、私には後者である。



平敦盛後白河院の胤だとか(藤の方も不義者じゃないか)、それゆえに義経は敦盛を救うべく、弁慶筆の制札をもって熊谷直実に謎をかけたとか、莫迦々々しくて困ってしまう。

見せ場とされる熊谷の「物語」も、直実が無官太夫を討ったことはウソという設定なのだから、観客としては、作り話だと裏も含んで見るべきなのか、あくまでも「物語」という歌舞伎的演技をただ見るものなのか、分かりかねるところ。

立派な拵えの女ふたり(藤の方と相模)の、まさに女々しいうろたえ振りも見苦しくて、端からついて行けない。



極め付けは、鎧櫃のなかに敦盛が隠れているという件り。あの程度の大きさのなかに、十六にもなる平家の公達が入っていられるものか(山口千春ちゃんだって入れやしないだろう)。なにか、妖術でも使ったのかな…



陣幕についている鳩サブレ(熊谷の鳩紋)とひよ子サブレはどっちが美味しかろう、などと思いつつ(笑)、涼しい顔して憎らしい、梅玉丈扮する義経を見ているうちに・・・青山播磨の気持ちを確かめるために、家宝の鳩サブレをわざと割って食べてしまうのは「熊谷鳩屋敷」、とか考えていたら、やっと幕外。出家して旅に出る直実はそれでよいが、あとに残された相模はどうするのか(まさか、堤軍次と不義密通だなんて裏筋は、ないよね?最後の引っ込みは、熊谷と相模がいっしょにというやり方もあったはず)。



文七元結

やはり、これが、いちばん。

幸四郎丈の芝居の上手さもあって、じつに面白い。



角海老の内証で、女将の肩たたきに励むお豆どん。

山口千春ちゃんは、秀太郎丈の肩を本当にたたいている。1月演舞場の関根香純ちゃんのお豆の肩たたきは、寸止めだったと思う。お手々を白くしているから、毎日肩をたたいていると、角海老女房の着物の衿はだんだん白くなってしまうぞ。