医介輔 / 着到板?



読売新聞夕刊から、2題。



医介輔 最後の一人

医介輔について要約すると、「沖縄の終戦直後の医師はわずか60人余り。1951年、苦肉の策として琉球列島米国民政府医師助手や衛生兵経験者を対象に医学講習会を実施し、126人の医介輔が誕生。本土復帰の際にも特別措置で、「一代限り」、「現地開業」などの条件つきで存続が認められた。」のだそうな。

私は、この記事で、はじめて知った。





こちらは、少し前の記事ですが、

ボクの名前も財産です

紹介されている番町小学校の名札管理は、着到板みたいだね。

小規模の学校なら、これを昇降口や玄関で行えば、全校児童の出欠席、登下校を、一元管理出来るのでは?いまは、管理の是非よりも安全が第一。