みんな我が子 (新国立劇場小劇場) その2


「みんな我が子」
(アーサー・ミラー 作、伊藤美代子 翻訳、ダニエル・カトナー 演出)

新国立劇場小劇場で、12月7日(水)の昼公演を観劇。午後2時開演。

配役や上演時間は、すでに書いたとおり。
http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20111205/p1


3日昼に見て以来の2回目だったが、バート役は、またもや湧久ちゃんじゃなかった。・・・2回続けて外すと、なんだか急に虚しくなって、気持ちが砕けた。

この日の客席は空席が多くて、最前列から空いている席があった。何しろ、翌日のチケットで、かなりの前方席が売られていてる状況だものね。早々と前売りを買っていた我が身の浅はかさにあきれるしかない上に、希望の子役は連続空振り。

それから、座席の上の座布団みたいなあの変なクッションは、あれは何?いつから、新国立劇場小劇場はあんなクッションを敷かせるようになったのだろう。かえって座りにくくて疲れるのだけれど、クッションを敷かないと自分だけ座高が低くなっちゃうから、敷かない訳にも行かないので、参ったね。


日本が第二次大戦の敗戦国ということもあって、これまで、戦勝国である米国の戦後ということについては、想像したことがなかった。戦勝国にも、当然、戦死者がいて、家族を失った者がいる。帰還した者がいる。片や、運よく、徴兵されなかった者もいれば、軍需景気で財をなした者もいる。この「みんな我が子」という芝居は、そんな立場のちがいから来る人々の繊細にして埋めがたい溝を家族のひずみとその周囲のドラマとして凝縮してえがいている。

登場人物たちが隠していた秘密、あるいは心に抱えた傷が、ドラマの進行とともに顕在化して行く展開は、緊張感があふれる。
家族としての情と、正義の間で揺れる心理というのは、国や時代を超えた普遍的なテーマなのだということを、改めて思わされた。

もはや生きているはずのない次男・ラリーの生還を信じ続けるケイト(麻実れい)の言葉には異常性さえ感じるが、ドラマのクライマックスで、そのケイトの言動の理由が明らかになるあたりは、ミステリー劇の謎解きのような面白さ。

ただ、2度目の観劇となると、たとえば、ジョージ(柄本佑)の態度は弁護士という職業にあるにしては押しが弱過ぎて不自然な気がしないでもないとか、アン(朝海ひかる)があそこでラリーからの手紙を出すのは、なんだか、後出しじゃんけんみたいだ、などと多少の違和感も芽生える。


この日は終演後に、加治将樹(フランク役)と、D-BOYSの後輩だという碓井将大(ゲスト)によるアフタートークがあった。クリス役の田島優成(すでに衣裳から着替えていた)がはしごを持って現れて(劇中のフランクの登場シーンの真似)、そろそろ時間です、と告げたのがいちばんおもしろかったね。

トークショー自体が、さほど面白くなかったとはいえ、途中で席を立つひとが続出したのには、いささか居心地が悪かった。